2024年5月2日のブックマーク (1件)

  • 都民は「資本」を量、質、距離で都合よく使い分けているんだよ

    自宅に画集を置く「距離」を問われると、外にあるから外注できると回答する 地方からも美術館に行けると問われると、東京ならすぐ美術館にいけると「距離」を盾にする 家にピアノが置けないという選択肢の「量」の少なさを問われると、キーボードなら持てると「質」で回答する 自宅に絵が飾れる(絵に触れる機会の多さ)という「質」を問われると、また外注に戻り「量」で回答する 「質」と書いてしまったけど「深さ」でもいいかもね ペットショップやカフェがあれば「ペットの外注」ができるかもしれないけど、実際にを飼わないと得られないものがある この実際に「自分の手元における」という豊かさは、1つのモノに対する造詣を深めるからね 美術館一つとっても行った回数や頻度を問題にするのではなく、 美術館の数を話題の中心に持ってくるのも「深さ」の話を「量」や「距離」に置き換えてるんだよね 行った回数や頻度という「深さ」なら地方

    都民は「資本」を量、質、距離で都合よく使い分けているんだよ
    onigashira_3
    onigashira_3 2024/05/02
    タイパコスパを重視する都会のファスト文化に慣れた人にはコンテキストの深さを理解するのに長い時間のかかる田舎の文化を楽しむ素養はなかろう。これも文化の違い。