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ブックマーク / blog.tinect.jp (2)

  • 宗教なき社会の「戒律」としての、ドラッカー、自己啓発、心理学

    先日、旧知のブロガーの方とzoomをやる機会があり、昨今のインターネットや新型コロナウイルス感染症について、いろいろな意見交換をした。 そうしたなかで、何の脈絡か、宗教の代替物の話になった。 たとえばニセ科学が宗教の位置におさまっていたり、ときには科学そのものが宗教の位置におさまっていることがあるよね、といった話でひとしきり盛り上がったのだった。 と同時に、戒律を伴った正真正銘の宗教は、欧米のキリスト教離れにせよ日の仏教離れにせよ進んでいるよね、なんだか戒律の乏しいスピリチュアルなものが流行っているよね、といった話も出てきた。 宗教には色々な役割があるが、一般に、現世利益や来世利益をうたっているだけではない。 宗教は、その信徒に守るべき戒律を与える。 戒律には宗教団体や宗教共同体を守る機能だけでなく、信徒自身の社会生活や社会的評価を守る機能もある。 なんにせよ、宗教というからには戒律がつ

    宗教なき社会の「戒律」としての、ドラッカー、自己啓発、心理学
  • 「何者かになりたい」と願う人とそうでない人、どこが違うのか

    先日、私の新しい『何者かになりたい』がイーストプレスさんからリリースされた。 想定読者は「何者かになりたい」と願わずにいられない人や「何者にもなれない」と悩んでいる人だ。 そうした気持ちをどこかに抱えながら中年期を迎えた人も、潜在的読者かもしれない。 ところで、この「何者かになりたい」「何者にもなれない」といったフレーズには、シンパシーをおぼえる人とまったくおぼえない人がいるのが通例だ。 たとえば先月、講談社ビジネスに 『「何者かになりたい人々」が、ビジネスと政治の「い物」にされまくっている悲しい現実)』という記事が公開された時、twitterはてなブックマークではこうした気持ちへのシンパシーがたくさん書き込まれると同時に、「そんな気持ちになったことはない」という書き込みも少なくなかった。 先月公開された『いい年した大人の『何者かになりたい』という感覚は、けっこう厄介。』という記事で

    「何者かになりたい」と願う人とそうでない人、どこが違うのか
    onigoy
    onigoy 2021/06/30
    精神的な癒やしとしての同人活動か…そういう視点も大切だよなぁ…😔
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