2018年1月7日のブックマーク (4件)

  • 成績いいからって医学科来るな

    地方国公立大学の医学部医学科に在学中の者です。 長いですが、たくさんの人、特に医学科を目指す受験生に読んでほしくて書きました。 ※医学科以外の医学部(看護科や健康総合学科など)ももちろんありますし、それらを無視・軽視するわけではありませんが、一応医学部の医学科を対象として書いています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 医学生の中には、親が医者って人も多いらしい(純血って呼ばれたりしてる)。 医学生や医者って、当に将来自分の子供も医学科に入れたいと思うのだろうか? 自分が医学生とか研修医の時に散々させられた苦労、覚えてないのか? それを子供に味わわせてでも医者になってほしいのか? 自分の家業を継いでほしいから? 立派な職業だと改めて実感したから? そのあたりから、医学科を受験するというのはどういうことなのか、少し語らせてほしい。 ー・ー・ー・ー・ー

    成績いいからって医学科来るな
    orangelip
    orangelip 2018/01/07
    別に金のためでも良いんだよ?金の集まらない所に優秀な人は集まらない。医者以外の高学歴職業にも十分な年収があればそっちにいくでしょう。そうじゃないから医者になるだけのこと。綺麗事で飯は食えぬ
  • 寝る前にカーテンを開けない理由がわからない

    暗いから外からは見えないし、朝日で起きれるからメリットしかない。 なのに、みんなカーテン閉めて寝てるよね。 【追記】 寒いと聞いて、樹脂サッシ3層ガラスは一般的ではないことを失念していました。 ごめんね。

    寝る前にカーテンを開けない理由がわからない
    orangelip
    orangelip 2018/01/07
    いや、そんな!あの手はなんだ!窓に!窓に!
  • 「そもそも、なんでそこまで黒塗りしたいの?」

    宝塚ファンの一人としてここ数日葛藤している。 別に黒塗りが無くなったって困らないでしょ、とのブコメをちらほら見るが私は…私は…どうしたらいいのだろうか。 実は宝塚には黒塗りの文化がある。 お芝居の中で黒人役がある場合、タカラジェンヌはドーランで肌を黒く塗り黒人に扮する。代表的なのは『風と共に去りぬ』のマミー役だ。宝塚において『風と共に去りぬ』というのは『ベルサイユのばら』と並ぶ古典演目で、何度も何度も再演されてきた大切な作品だ。しかし、いくら名作であっても今現在のポリコレ基準で考えるとアウトになるんだろう。 つい最近も、花形スターが黒人役をやる演目があった。「うちの黒塗りは笑いにしてるんじゃなくてカッコイイと思ってやってるんだからいいんです」という理屈は通じるのだろうか?それって傲慢じゃないのか。 これが他所の劇団ならば、黒人の役者を引っ張ってくればよいのだろうが、ご存じの通り宝塚は大半が

    「そもそも、なんでそこまで黒塗りしたいの?」
    orangelip
    orangelip 2018/01/07
    昔の小説でも、現代での差別を否定した上で当時の文化を尊重し原文のまま記載というのはよくある。時代の再現で必要だからということで表現するのには意味があることで、批判には遠い気がする。
  • エディー・マーフィーがアジア人になる映画『マッド・ファット・ワイフ』 - 破壊屋ブログ

    顔面を塗ってアジア人のフリをして、黒人差別発言をするエディー・マーフィー。ただこれは「黒人だと養子の貰い手が少ないから俺が父親になってこの子を育ててやる」という意味も含まれる。 大晦日の『笑ってはいけない』で、顔を黒塗りしてエディー・マーフィーのコスプレをするギャグが議論になっているけど、俺もあのギャグは問題だと思っている。しかしあの議論には大事な観点が抜けていると言わざるをえない。 その観点とは… 顔面ペイントで他の人種のフリをするのってエディー・マーフィーの持ちネタじゃん! どうしてこの観点が抜けているのかというと、それはもちろん関係無いからだ。そしてもう一つ大事な原因がある。それはみんなエディー・マーフィーのことをすっかり忘れているということだ。 『星の王子 ニューヨークへ行く』のエンド・クレジット。劇中気づかなかった人もエンド・クレジットで「あの白人はエディー・マーフィーだったのか

    エディー・マーフィーがアジア人になる映画『マッド・ファット・ワイフ』 - 破壊屋ブログ
    orangelip
    orangelip 2018/01/07
    どこまで許せるかは人による