今日は軽めの話を。 文章にエッジが必要な理由 「エッジの効いた文章」という表現がある。 エッジ:刃物の刃。刃物の切れ味。また比喩的に、人を刺激する鋭い感覚。「エッジの効いたデザイン」 (デジタル大辞泉より) つまり、「鋭い文章」といったような意味だ。 例えば、どこからも突っ込まれないような、きれいな文章を書いたとする。 批判はされないが、読まれることもない。当たり前すぎて、読む価値がないからだ。 絵には、光だけでなく影がないと、奥行きやリアルティを感じないのと同じことである。 だから、文章にはいくらかはエッジが必要だと思う。 文体よりも、ものの見方にエッジが必要 そこで、一文一文にエッジを効かせようとして、過激な単語を選択する手法がある。 私もやってしまいがちだが、これは逆効果だ。 過激な単語を選ぶと、文章自体が敬遠されて読まれない。 さらに、単語のイメージに引っ張られて、書いていないこと
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