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designとblogに関するorbisのブックマーク (2)

  • ニラサワの事。

    むかしむかし「未来忍者」って映画のスタッフだった時 小林誠さんから送り込まれてきた若僧がいました。 若僧といってもタケヤとオレとおないどしで。 つまりは3人ともぺーぺーの若僧だった時代に知り合った。 どんな話したとか覚えてないけど初対面からオレをみて 「あんた、だれだれさんに似てるわ!」と 当時特撮雑誌の「宇宙船」とかで名前をおみかけする ライターの方の名前を出してきたが、こちらは面識が ない方なので「へー、そう」としか言えなかったわけです。 「いやー似てる似てるそっくり!」となおも続けるその若僧 こそが、のちに韮沢靖となる男だったのです。 いや当時から韮沢靖だったけど。 なにぶん30年近い昔の事で、それ以降のことは ぼんやりとしか覚えてないけど、その頃オレは東高円寺、 タケヤは高円寺、ニラサワは野方にいて、まあ近所なので タケヤの作業場にしょっちゅう入り浸っては、あの怪人が いいとか、あ

    ニラサワの事。
  • HIRANO KEIKO’S OFFICIAL BLOG

    東京アートディレクターズクラブ 会員のみなさまへ 東京五輪エンブレム問題に関して、東京アートディレクターズクラブ(東京ADC)はいっさい発言せず、クラブとして沈黙を貫きました。東京ADCが沈黙し、無策であったということは、会員である佐野研二郎さんや博報堂出身者に集中したバッシングや加熱報道の状況をクラブとして黙認したことになります。 東京ADCが「クラブ」という組織体勢を理由に無策であったことを正当化しようとしても、東京五輪エンブレム問題の当事者や関係者(審査委員、入賞者、招待作家、出品者、組織委員会の仕事を請け負う広告代理店関係者)の大多数が東京ADCに属する会員であったという厳然たる事実の前では、無策が社会的責任の放棄であることは否めません。 東京五輪エンブレム問題は佐野さんひとりの問題ではないにもかかわらず、その人のイメージだけが鮮烈に記憶されましたが、あのとき東京ADCが組織力をも

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