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小説と批評に関するororのブックマーク (2)

  • 小説を語る声は誰のものなのか――橋本治「桃尻娘」論 文學界6月号 | 千木良 悠子 | ためし読み

    「文學界 6月号」より千木良悠子さんの批評「小説を語る声は誰のものなのか―橋治「桃尻娘」論」の冒頭をお届けします。 「文學界 6月号」(文藝春秋 編) 1、愛は理屈じゃない、なんてことはない 私の一番好きな小説は「桃尻娘サーガ全6部」(1978―1990年、以下「桃尻娘」)だ。文学の傑作は世界に星の数ほどあるにしても、こればっかりは特別だから仕方ない。中学1年とかそんな時期に出会って以来、約30年も繰り返し読んできた。今もシリーズ6冊のうちのどれかを開いて数行読むだけで脱力して笑ってしまうし、思わぬ箇所で泣けてくる。そんなに好きなのに完全に分かった気はしなくて、まだ理解度は8割程度だと思っている。 橋治の小説では一番有名で、思い入れのある読者も多いはずなのに、先行批評の数は少ない。批評家には「女子高生の話し言葉による青春小説だから、深刻に論じるものではない」と思われてきたのかもしれない

    小説を語る声は誰のものなのか――橋本治「桃尻娘」論 文學界6月号 | 千木良 悠子 | ためし読み
  • 認知言語学から小説の面白さに迫る『小説の描写と技巧』

    小説の面白さはどこから来るのか? 物語のオリジナリティやキャラクターの深み、謎と驚き、テーマの共感性や描写の豊かさ、文体やスタイルなど、様々だ。 小説の面白さについて、数多くの物語論が著されてきたが、『小説の描写と技巧』(山梨正明、2023)はユニークなアプローチで斬り込んでいる。というのも、これは認知言語学の視点から、小説描写の主観性と客観性に焦点を当てて解説しているからだ。 特に興味深い点は、小説の表現描写が、人間の認知のメカニズムを反映しているという仮説だ。私たちが現実を知覚するように、小説内でも事物が描写されている。 認知言語学から小説の描写を分析する 通常ならメタファー、メトニミーといった修辞的技巧で片づけられてしまう「言葉の綾(あや)」が、ヒトの、「世界の認知の仕方」に沿っているという発想が面白い。これ、やり方を逆にして、認知科学の知見からメタファーをリバースエンジニアリングす

    認知言語学から小説の面白さに迫る『小説の描写と技巧』
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