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2020年1月25日のブックマーク (5件)

  • 大瀧詠一は設計士で僕は左官屋、細野晴臣が『ナイアガラ・ムーン』を聞きながら自作を語った日

    Home TAP the DAY 大瀧詠一は設計士で僕は左官屋、細野晴臣が『ナイアガラ・ムーン』を聞きながら自作を語った日 - TAP the POP 大瀧詠一がエレックレコードとの契約で、プライベートレーベル「ナイアガラ」を設立したのは1974年9月だ。 自分のレーベルを持って作詞・作曲・編曲・プロデュース・エンジニアを務めて、原盤制作から原盤管理までを行うことは、音楽の道を志した頃から抱いていた夢だった。 そして1975年5月25日、はっぴいえんど解散後の初ソロ・アルバム『NIAGARA MOON(ナイアガラ・ムーン)』を、ついに自分のレーベルから発売したのである。 広告のキャッチコピーは、こうだった。 ナイアガラレーベル期待の第二弾!! はっぴいえんどからナイアガラへ そして、今甦るポップスの数々 それから1か月後の6月25日、細野晴臣の2枚目のソロ・アルバム『TROPICAL DA

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  • 細野晴臣が84年に発足させた伝説的レーベル、ノンスタンダードの作品から選りすぐった10タイトルがSHM-CDで再登場 | Mikiki by TOWER RECORDS

    レーベルの顔は、細野晴臣。第一弾リリースも彼の12インチシングル『メイキング・オブ・ノンスタンダード・ミュージック』だった。当時、作を手にした方はちょっとした衝撃だったはず。A面には7分に渡るディープなエレクトリック・ファンクが収められ、B面には対照的にラフなシンセ音がきままに奏でられる。おまけに、漫画小説がたっぷり詰まった書籍まで付属されていた。それだけ気合の入ったレーベルのスタートだったのだろう。直後に登場したアルバム『S・F・X』も、この延長線上ともいえる怪作だった。この無機質なビートは、後にF.O.Eというユニットにつながっていく。細野の最もラジカルな時代といってもいいだろう。 ただ、ノンスタンダードの他のラインナップは、もう少しポップな世界観を持っていた。メロディアスなテクノ・ポップを追求したShi-Shonen、カラフルな無国籍ポップスを奏でるワールドスタンダード、エッジの

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    orzie
    orzie 2020/01/25
  • 「考えよう。答はある。」のコピーから読む「約束」のこと | 宣伝会議 2016年5月号

    会社を辞めて立ち上げた個人事務所を「コトバ」としたことには、名前に重い意味を与えようとする意図はなかった。むしろその重さは、独立という緊張と不安の中では避けたいものだった。 長年の友人占い関係に精通していて、いくつか社名案を出せば見てもらってやると言ってくれた。一世一代のネーミングである。普段の仕事以上に(ウソですよ)一生懸命考えた。それを友人が行きつけの占い師さんに取り次いでくれたのだが、最初の10案、全滅。「もう一回出してみようよ」。ええ、もちろん。「直接話してみたら」ということで、再提出後に電話で相談してみるということになったのだが、その10案、不首尾。「これとこれは、まあ小吉くらいなんですが、ヤマモトさんはその程度をお望みじゃないですよね」。こういうのはダメで、こういう方向が望ましいと教えてくれる。まるでプレゼンの戻しか再オリエンだ。結果的に最後となった10案を出した次の日に、友

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    orzie 2020/01/25
  • ゲオルギウの言葉

    真実を求めて {ゲオルギウの言葉}               (2007.6.28~30作成) (1)寺山修司は、次のの中で、ゲオルギウの言葉を紹介している。 『青春の名言 心さびしい日のために』(大和書房、1968年) 『ポケットに名言を』(角川文庫、1977年初版、2005年改版) た ね もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう。 ゲオルグ・ゲオルギウ 寺山修司はこの言葉をルーマニアの政治家・革命家である ゲオルグ・ゲオルギウ・デジ(1901~65)の言葉としている。 しかし、彼が、この言葉を言ったということを裏付ける文献は、 どこにも見当たらない。 (2)ルーマニア生まれの作家・詩人コンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウ(1916~92)は、 小説 『第二のチャンス』 (1952年原著、53年訳書)の巻末において、 マルチン・ルターの言葉として、次の文を引用し

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    orzie 2020/01/25
  • 世界の終わりと林檎の話。 - 僕と君の間にあるもので世界をかえることについて

    イクニ監督が大好きな演劇家であり作家・寺山修二の『ポケットに名言を』には、世界の終わりと林檎についての一文が紹介されています。 もし世界の終りが明日だとしても 私は今日林檎の種子をまくだろう 寺山は言葉をすこしずつ変えて、何度もこの文を作品に引用しています。 寺山の他にも多くの著名人が世界の終わりと林檎についての名言を好んで使いますが、おそらく日での大元は「小説家の」ゲオルギウの作品の邦訳からと思われます。 ゲオルグ・ゲオルギウ(代表作『25時』)の『第二のチャンス』という小説の最後のシーンで(宗教家のマルティン・ルターの言葉だとして)登場人物が呟くのです。 どんな時でも人間のなさねばならないことは、 たとえ世界の終末が明日であっても、 自分は今日リンゴの木を植える ※唯一の邦訳は誤植で「明日」が「明白」になっています… このには、二分された世界の戦いに翻弄される人間が描かれます。繰り

    世界の終わりと林檎の話。 - 僕と君の間にあるもので世界をかえることについて
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    orzie 2020/01/25