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2020年2月11日のブックマーク (5件)

  • トップページ - 原初舞踏 最上和子 公式ブログ

    再上映は明後日なのに、こんなに差し迫ってのお知らせで失礼します。 前回の上映のあとに「見逃したのでぜひまた上映を」「もう一度見たいので再上映を」 の声が多く寄せられ、再上映の運びとなりました。 プラネタリウムはまだまだ教育目的で星空を見るためのものであり、 なかなかアート作品の発表には歓迎されないのが現状です。 今回の再上映もかなり貴重なものになります。 身体・霊性・生と死、 そのような問題に真っ向うから取り組んだものであり、 決して大評判になったりメジャーになったりするものではないでしょうが、 今の時代への重要な一石には確実になっていると自負しています。 それは同時に押井守監督をも唸らせた、新しい映像表現の可能性を切り開くものです。 今や地球の隅々にまで人間の文明が踏み入れられ、新しい土地などどこにもないと思われますが、 身体こそは人間に残された最後の土地です。 そこには「畏れ」と「希望

    orzie
    orzie 2020/02/11
  • 揺らぐ良い女、すなわち良い人間―土岐麻子『PASSION BLUE』とシティポップ3部作|4 Neighbor’s Radio

    ライター:inkyo 『PASSION BLUE』によって土岐麻子の「シティポップ3部作」が締められた。1作目の『PINK』はゼミ論を書いていたときに聴いていたな……ゼミ論……。ただ心地よくてBGMにしていただけで、歌詞は全く入ってきていなかった。そういう側面もあるのがこの3部作ですね。 ちゃんとした音楽の話はナタリーの記事(いい写真がなくてヘッダーを拝借しました)などを読んだほうが良いと思う。丸投げ。最初の曲"Passion Blue"からリズムが面白くて、「リズムから考える……」と呟いた。音楽だけでなく何もかもリズムから考えています。話が逸れそう。とにかく、音楽的なこと(?)は誰かが話してくれていることでしょう。 私は『PASSION BLUE』を聴いて思ったことを中心に、いつも通り気持ちの部分について話そうと思う。聴いてから読んだほうがいいかも。『SAFARI』がリリースされたあたり

    揺らぐ良い女、すなわち良い人間―土岐麻子『PASSION BLUE』とシティポップ3部作|4 Neighbor’s Radio
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    orzie 2020/02/11
  • 土岐麻子「PASSION BLUE」特集|土岐麻子は現代のシティポップとどう向き合ってきたのか? “3部作”の徹底解説と著名人7人のレビューで紐解く - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

    土岐麻子がニューアルバム「PASSION BLUE」をリリースした。このアルバムは前々作「PINK」、前作「SAFARI」と同様に、トオミヨウをサウンドプロデューサーに迎えて制作された作品。「PINK」と「SAFARI」に続く“シティポップ3部作”の完結編として位置付けられている。 国内でのリバイバルが訪れてひさしく、近年では海外でも音楽ファンの間で注目されつつあるシティポップ。この音楽ジャンルに対して、かねてから“シティポップの女王”とも呼ばれていた土岐はどう向かい合ってきたのか。音楽ナタリーでは“シティポップリバイバル”という観点から「PINK」「SAFARI」「PASSION BLUE」の3部作について解説。さらに柿ケンサク、豊崎愛生、西寺郷太(NONA REEVES)、バカリズム、原田知世、槇原敬之、夢眠ねむ(50音順)といった土岐とゆかりの深い人々に、「PASSION BLUE

    土岐麻子「PASSION BLUE」特集|土岐麻子は現代のシティポップとどう向き合ってきたのか? “3部作”の徹底解説と著名人7人のレビューで紐解く - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
    orzie
    orzie 2020/02/11
  • Amazon.co.jp: 銀齢の果て(新潮文庫): 筒井康隆: Digital Ebook Purchas

    Amazon.co.jp: 銀齢の果て(新潮文庫): 筒井康隆: Digital Ebook Purchas
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    orzie 2020/02/11
  • 市丸 - Wikipedia

    この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "市丸" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年11月) 明治39年(1906年)7月16日、長野県松市で生まれる。名、後藤まつゑ。16歳のとき、松市の奥座敷として知られる浅間温泉で半玉(芸者見習い)となり、蝶々と名乗った。客に求められた長唄を知らず悔しい思いをしたことがきっかけとなり、単身19歳で上京。大正15年(1926年)6月18日、浅草の一松家から市丸の名で芸者お披露目し[7]、清元・長唄・小唄それぞれで名取となるまでの精進を重ねた。浅草四人組(児雀、久松、大黒、市丸)の一人として名を馳せ、その天賦の美貌と美声

    市丸 - Wikipedia
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    orzie 2020/02/11
    “戦後、アメリカ文化の流入で日本調の歌手の活躍の場が失われてくると/服部良一に「ブギウギを歌わせて欲しい」と作曲を依頼。昭和24年”(1949年)、服部の手による『三味線ブギウギ』が発売される