ここ数年、あらゆるジャンルにおいて日本人の世界的な活躍がめだっている。ノーベル賞では3年連続で受賞(2000~2002年)しているし、大リーグでのイチロー(1973~)、新庄剛(1972~)らの活躍は連日テレビや新聞をにぎわしている。 それでは映画界はどうであろう。昨年(2001年)ベルリン映画祭で、宮崎駿(1941~)監督の「千と千尋の神隠し」(2001年スタジオジブリ)が見事にグランプリを受賞したのを始めとして、ここ数年の日本映画の国際的な活躍は目覚ましい。だが、映画の都ハリウッドに目をやると、そこを舞台に活躍している日本人は案外少ないのである。特殊メイクのスクリーミング・マッド・ジョージ(本名・谷譲治/1956~)のようなスタッフはまだしも、人種という避けて通れない壁があるせいか、俳優はほとんどいない。 ところが、映画史を紐解いてみると、サイレント期のハリウッドに、堂々とスターとして
1995年に映画が生誕100周年を迎えたことは、まだ記憶に新しいことと思う。映画の100歳の誕生日を祝うべく、世界各地でイベントが催されていた。わが国日本でも松涛美術館で「シネマトグラフと明治の日本」が開催されたり、僕の母校のW大学でも「早稲田と映像の20世紀」なんて企画が行なわれたものだった。そういった展示会では、映画草創期の貴重な作品を観る機会がずいぶんとあった。リュミエール兄弟のシネマトグラフ。ジョルジュ・メリエス(1861~1938)のトリック映画。歌舞伎を撮影した現存最古の日本映画「紅葉狩り」(1899年)、etc。そんな中には、発明王エジソンの製作した映画も上映されていたのだが、それらの作品を観ていてふとある疑問に行き当たった。1995年が映画誕生100周年であるなら、映画の誕生は1895年でなくてはならない、実際展覧会のプログラムでも、1895年12月28日にフランスのリュミ
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