トルコ人が忘れない120年前の出来事(1/5) 本年は「トルコにおける日本年」であるという。日本とトルコの友好が120周年を迎え、その記念事業が両国において、めじろ押しだということは喜ばしいことである。 日本人にとって、トルコは遠い異国でしかないが、トルコの人々は「世界で一番好ましいのは日本人だ」と言ってくれている。 なぜか。日本人の大半が、すでに忘却のかなたであるにもかかわらず、トルコの人々は今も、120年前の出来事=惨劇を忘れていないからだ。 ○答礼使節団の艦船が嵐で転覆 明治23年(1890)のことである。この年の9月16日の夜半、一人のトルコ人が血を流しながら、現在の和歌山県串本町の串本港沖に浮かぶ、大島――今は「くしもと大橋」で結ばれているが――の樫野崎(かしのざき)灯台に、生命(いのち)からがらたどりついた。 言葉は通じなかったが、どうやら暴風雨の中、自国の船が座礁し、