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青空文庫に関するosi7のブックマーク (2)

  • 芥川龍之介 二つの手紙

    ある機会で、予(よ)は下(しも)に掲げる二つの手紙を手に入れた。一つは年二月中旬、もう一つは三月上旬、――警察署長の許へ、郵税先払(さきばら)いで送られたものである。それをここへ掲げる理由は、手紙自身が説明するであろう。 第一の手紙 ――警察署長閣下(かっか)、 先ず何よりも先に、閣下は私(わたくし)の正気(しょうき)だと云う事を御信じ下さい。これ私があらゆる神聖なものに誓って、保証致します。ですから、どうか私の精神に異常がないと云う事を、御信じ下さい。さもないと、私がこの手紙を閣下に差上げる事が、全く無意味になる惧(おそれ)があるのでございます。そのくらいなら、私は何を苦しんで、こんな長い手紙を書きましょう。 閣下、私はこれを書く前に、ずいぶん躊躇(ちゅうちょ)致しました。何故(なにゆえ)かと申しますと、これを書く以上、私は私一家の秘密をも、閣下の前に暴露しなければならないからでござい

  • 織田作之助 僕の読書法

    僕は視力が健全である。これはありがたいものに思っている。むしろ己惚れている。 己惚れの種類も思えば数限りないものである。人は己惚れが無くてはさびしくて生きておれまい。よしんばそれが耳かきですくう程のささやかな己惚れにせよ、人はそのかけらにすがって群衆の波に漂うているのではなかろうか。果して小人だけが己惚れを持つものだろうか。己惚れは心卑しい愚者だけの持つものだろうか。そうとも思えない。例えば作家が著作集を出す時、後記というものを書くけれど、それは如何ほど謙遜してみたところで、ともかく上梓して世に出す以上、多少の己惚れが無くてはかなうまいと思うが、どうであろうか。恥しいものですと断ってみても、無理矢理屋に原稿を持っていかれたと体裁の良い弁明をしてみても、出す以上は駄目である。よくよく恥しいという謙遜の美徳があれば、その人の芸術的良心にかけても、たれもにすまい。人に読ませる積りで書いたので

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