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宮本常一に関するotakechibiのブックマーク (11)

  • 生々しくも地に足のついた「在野の研究」はいかにして可能になったのか?: 宮本常一「民俗学の旅」書評 | 立教大学 経営学部 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する | NAKAHARA-LAB.net

    「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況を見ていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう。その見落とされたものの中に、大事なものがある。それを見つけていくことだ」 (渋沢敬三、宮常一「民俗学の旅」より) ・ ・ ・ 先だって、希代の民俗学者・宮常一が書いた回顧録(エッセイ)「民俗学の旅」を読みました。 民俗学とは、ワンセンテンスで申し上げれば、「かつて文字を持たなかった民衆社会のなかで行われた、文化伝承の方法であった言葉と行為ー慣習的生活の記録化と、これをもとにして文化の原型への遡源と文化の類型・機能を研究しようとするもの」(同書p235より抜粋)です。 もう少し具体的にいえば、「民衆の息づく田舎をまわり、そこで営まれている生活を記録すること」を主な活動とする研究です。 僕は民俗学に関しては、ズブの素人です。41歳になるまで、民俗学についての書籍をあま

    生々しくも地に足のついた「在野の研究」はいかにして可能になったのか?: 宮本常一「民俗学の旅」書評 | 立教大学 経営学部 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する | NAKAHARA-LAB.net
  • 『宮本常一が見た日本』 佐野眞一 - moonshine

    表紙の宮さんの写真がステキ。 宮常一が見た日 (ちくま文庫) 作者: 佐野眞一出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2010/05/10メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 20回この商品を含むブログ (9件) を見る 日人が忘れてしまった「日」をその著作に刻み続けた民俗学者、宮常一。戦前から戦中、高度経済成長期からバブル前夜まで日の津々浦々を歩き、人々の生活を記録。 書の裏表紙では宮常一という人をこう紹介している。その宮を「旅する巨人」と称し、同タイトルのノンフィクション作品で大宅壮一賞を受賞した佐野眞一が再び彼の遍歴を辿ったのが、書だ。 私が宮常一を知っているのは代表作『忘れられた日人』を通してのみであり、しかしそれは彼の旅の足跡であるとともに各地の「忘れられた日人」たる名もなき人々の暮らしを描写したものであるから、巻末に付された網野善彦による短い解説か

    『宮本常一が見た日本』 佐野眞一 - moonshine
  • 宮本常一情報サイト 周防大島郷土大学

    ・03/2/15 図書新聞から  ・03/4/8up 土に咲く / 毛利甚八さん  ・03/4/19up「中国新聞連載から」  ・03/4/21up「中国新聞連載から」  ・03/4/26up中国新聞投稿欄から  ・03/5/9up佐野眞一さんサイン会     文化公開講座のお知らせ  ・佐野眞一さんのサイン会を終えて    みずのわ出版 柳原一徳  ・宮常一・佐野眞一著作フェアー開催  ・神戸新聞から佐野眞一さんへの    インタビュー記事  ・「エスクイア ジャパン」から、   「司馬遼太郎さんも敬愛した、       宮常一さんのこと」  ・「土佐源氏」岩国公演  ・中国新聞Webニュースから   「宮常一が発見した久賀文化」      講師・印南敏秀氏 ・中国新聞Webニュースから  2003/10/19「宮常一の志継ぎ          地域の再生試みる」  ・森

  • 鯛の里/松本昭司 on Twitter: "そうです。マリン企画です。「日本の海女」は24,000円とはドえらい高いですね。 RT @Dsukeroku @taitanuki 海女はこっち?マリン企画 http://bit.ly/beT6V7 こっちなら全国24館に置いてるみたい"

  • 故郷は時のなかに - 記憶の彼方へ

    『宮常一 写真・日記集成(上巻)』 『宮常一 写真・日記集成(下巻)』 『宮常一 写真・日記集成(別巻)』 『宮常一 写真・日記集成 附録』 asin:462060609X 宮常一の写真を見ながら、故郷はあるとすれば、<時間>のなかにしかない、という突飛な想いにとらわれる。それがどこであろうが、時めくような時の経過の仕方そのものが故郷である、と。その意味では日人は高度経済成長以降、時間的失郷民にほかならないのではないか、と。 asin:4582832253 2004年、宮常一の故郷、山口県の周防大島に「周防大島文化交流センター」が開設した。そこには、宮常一が昭和30年から昭和55年までの間に日列島の津々浦々で撮影した10万点あまりの写真が一枚残らず収められている。佐野眞一は、それらの写真は、日の風景と日人の生活が高度経済成長によって昭和35年(1960)を境にしていか

    故郷は時のなかに - 記憶の彼方へ
  • 宮本常一・アンソロジー - 三上のブログ

    私は、写真家ではない民俗学者の宮常一の写真に衝撃を受けて、自分の撮る写真の記録性と表現性のできるだけ深い次元での統合を模索してきたのだが、文章と写真による記録と表現に関して、自分の経験をもう一歩前へ進めるために、この辺で、初心にかえるつもりで、宮常一について書いたエントリーをゆるく束ねておくことにした。宮常一について主題的に論じたものだけでなく、派生的なエントリーも含めての、例によって、未完のアンソロジーである。 ネコの町(2009年02月22日) 坂口恭平と宮常一(2009年02月27日) 棄民(2009年03月03日) 宮常一が残した10万枚の写真(2009年03月04日) 荒木経惟と森山大道の宮常一論(2009年03月05日) 50年前の貸しカメラ、現代のレンタルカメラ(2009年03月06日) 宮常一の3000枚の写真(2009年03月07日) 日だまりを楽しむ(20

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  • 佐野眞一・アンソロジー - 記憶の彼方へ

    現代の遠野物語(2009年02月19日) 里見甫と甘粕正彦(2009年02月21日) ノンフィクションの作法(2009年03月02日) 棄民(2009年03月03日) 宮常一が残した10万枚の写真(2009年03月04日) 瓦礫の思想、ゴミの思想、0円モデル(2009年03月05日) 荒木経惟と森山大道の宮常一論(2009年03月05日) 50年前の貸しカメラ、現代のレンタルカメラ(2009年03月06日) の死を語り、の復活を示す(2009年03月09日) 堕落論(2009年03月11日) ブラックマーケット(2009年03月19日) 現代の「寒山拾得図」?(2009年03月21日) 遠い「山びこ」(2009年03月21日) 高齢者の「漂流」、若者の「逆流」(2009年03月23日) 日列島の素顔はゴミ列島(2009年03月25日) 健全な資主義すら不健全だったのか(200

    佐野眞一・アンソロジー - 記憶の彼方へ
  • 宮本常一が撮った昭和の情景 - 記憶の彼方へ

    asin:4620606391 asin:4620606405 書『宮常一が撮った昭和の情景』(上下巻)は、宮常一が昭和30年(1955)から昭和55年(1980)まで全国津々浦々を歩いて見て撮った十万枚の写真から約三千枚を選んで編集された大型の『宮常一写真・日記集成』(全2巻、別巻1)を底として再構成してコンパクトにまとめたものである。上巻は昭和30年から昭和39年(1964)まで、下巻は昭和40年(1965)から昭和55年まで。「凡例」によれば、収録点数は約八百五十に圧縮されているが、『集成」未収録の写真も若干加えられた。これで、あの重たくて大きく高価な『集成』が手元になくとも、母体である「十万枚の写真」に接近する身近な拠点ができたようで嬉しい。しかもとしての完成度が高いと感じた。凛としたの佇まいに、奥付を見たら、ブックデザインは『ページと力』の鈴木一誌とある。なるほど

    宮本常一が撮った昭和の情景 - 記憶の彼方へ
  • 民俗学の旅/宮本常一: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 おもしろかった。すごく。 これは必読でしょう。 特に、いままで会社を一度も辞めたことがない人、生きていくためにはビジネスの場に身を投じるしかないと信じて疑わない人、あるいは、将来の職をどうしようかと頭の片隅でぼんやり思いつつ学校に通う学生などには。 この『民俗学の旅』を読んではじめて知ったんですが、宮常一さんという人はずっと定職につかなかった人であったらしい。師である渋沢敬三さんの家で54歳になるまで23年も客生活をしていたという。武蔵野美術大学で講義をするようになってはじめて定職についたのは、その客生活を終えたあとです。つまり60近くになるまで定職をもたなかった。 定職をもたずに何をしていたかというと、とにかく日中を歩いてまわった。そして、さまざまな土地で生きる人

  • 悼む人々 - 記憶の彼方へ

    イザベラ・バードの日奥地紀行 (平凡社ライブラリー) 今から130年前の1878年(明治11年)に英国人女性イザベラ・バードが日列島を旅した。彼女が歩いて、見て、聞いて、記録した「日」を、それから約100年後の今から約30年前に宮常一が解説した。その「日」は、私にとってほとんど見知らぬ国である。時代が時代なんだから、当たり前だ、と思う一方で、それにしても、その間の変化はあまりにも急激で、それによって得られたものの陰で失われたものの大きさを思うと非常に複雑な気持ちになる。 「イザベラ・バードの『日奥地紀行』を読む」平凡社ライブラリー 133頁 例えば、この挿絵に描かれたものは一体何だろう? これは、イザベラ・バードが「これほど哀れにも心を打つものを見たことがない」と記録し、宮常一が「とにかく通りかかった人たちの慈悲によって一つの霊が浮かばれるようにという行事なのです。このような

    悼む人々 - 記憶の彼方へ
  • 宮本常一が残した10万枚の写真 - 記憶の彼方へ

    常一 (KAWADE道の手帖) 宮常一はこんな笑顔の素敵なおっさんだった。 日の村という村、島という島を歩き続け、膨大な記録を残したとんでもない民俗学者・宮常一は10万枚余りの写真も残した。宮常一の故郷、瀬戸内海に浮かぶ周防(すおう)大島の東和町に、2004年5月18日、「周防大島文化交流センター」がオープンした。そこには、その10万枚余りの写真が一枚残らず収められているという。昭和35年から昭和56年までの間に各地で撮影された「失われた昭和」を記録した宮常一の10万枚余の写真コレクション! いつか必ず見に行こうと思っている。でも、人生何が起こるか分からない。明日、ポックリ逝くかもしれない。なので、少しでもいいからその雰囲気を味わっておきたいと思って、10万枚余から厳選されたという約200枚が収録されたを買った。素晴らしい。 宮常一の写真に読む失われた昭和 かえすがえす

    宮本常一が残した10万枚の写真 - 記憶の彼方へ
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