略奪行為は金品、食料はもちろん近隣の一般人も誘拐されていた。この行為は「乱妨取り」または「乱取り」といわれた。 これは合戦に参加する一般兵は農民が多く、また食料や装備も自身で調達しなければならないこともあったからである。 さらに乱妨取りは稼ぎでもあり金品や家財を奪った。そして人を誘拐し身代金を要求したり人身売買も行われていたという。 大名達もこれらの行いを兵士の褒美としたり士気を保つために黙認していた。 戦よりも乱妨取りを目的とした者もおり、乱妨取りは戦と切っても切れないものであった。 南蛮貿易 16世紀中期から、ポルトガルやスペインとの交易を主とした南蛮貿易が始まり、鉄砲やキリスト教が日本へ伝わった。特に鉄砲や火薬は武士の戦闘に必要不可欠であり、日本側は銀や刀剣を売り取引した。 しかしそれだけでなく、戦時に捕らえた捕虜をポルトガル人に売るようになった。また捕虜以外にも誘拐されてきた人や貧
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