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  • シーナ&ロケッツ・鮎川誠が語った「シーナと俺」の物語 旅立ち~シーナさんが下した「決断」 - T-SITEニュース エンタメ[T-SITE]

    シーナと出会ってから44年、「シーナ&ロケッツ」を結成してからは37年。常に一緒にいたし、そのほとんどはロックに関わることばかりだった。シーナと僕の音楽性は一致していたし、だからロック一筋の幸せな時間を、これまで堪能することができた。 随分と長いあいだ活動してきたから、思い出に残ることはあり過ぎるくらいある。1988年にニューヨークでレコーディングし、伝統あるライブハウス「CBGB」でライブデビューした。ウィルコ・ジョンソンとはセッションしたほか、一緒に2枚のアルバムを作ったのも印象深い。どの出来事も、シーナという素晴らしいボーカルがいてくれたからこそ、である。 最後の最後まで知らせなかった シーナが体調を崩したのは、昨年7月初めのことだった。 普段は決して弱音を吐かんのですが、珍しく「背中が痛いっちゃ」と言ったので心配しとったんだ。詳しく検査すると、がんが進行し末期だと宣告を受けた。シー

    シーナ&ロケッツ・鮎川誠が語った「シーナと俺」の物語 旅立ち~シーナさんが下した「決断」 - T-SITEニュース エンタメ[T-SITE]
    otakky
    otakky 2015/02/25
  • シーナ&ロケッツ・鮎川誠が葬儀直後に語った「シーナと俺」の物語 音楽――そして愛 - T-SITEニュース エンタメ[T-SITE]

    ロック界の黎明期に多大な足跡を残し、今もなお活躍を続けるバンド「シーナ&ロケッツ」。圧倒的な歌声で人々を魅了したボーカリスト、シーナさんが子宮頸がんのため亡くなったのは2月14日のこと。61歳という若さだった。 夫でギタリストの鮎川誠が、葬儀翌日の2月20日、2人の出会いから育ててきた音楽、シーナさんの闘病をあますところなく語ってくれた。 「友だちになりましょう」 シーナと初めて会ったのは1971年の夏、お盆のころだった。俺は当時、バンド「サンハウス」でギターを担当、福岡市のダンスホールのバンドマンとして生計を立てていた。閑古鳥が鳴いていたその店に、まだ高校3年生だったシーナが来て、初対面の俺にいきなりこう言った。 「友だちになりましょう」 俺に声をかけるなんて見上げたものだが(笑)、話してみると、なかなかのロック少女ちゅうことがわかった。あとで聞くと、「魂のこもった荒々しい俺のギター

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    otakky
    otakky 2015/02/25
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