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  • 警視庁初代科学捜査官が新著で初めて明かす難事件解決の極秘ファイル

    地下鉄サリン事件、和歌山カレー事件、薬物使用連続暴行事件など数々の難事件を解決に導いた警視庁初代の「科学捜査官」、服藤(はらふじ)恵三さん(64)が、新著で初めて捜査の裏側を明かした。日の科学捜査の基礎を築いた著者が、事件解明の極秘ファイルの封印を解く。 服藤 恵三 HARAFUJI Keizō 医学博士。警察庁シニア広域技能指導官。1957年生まれ。東京理科大学卒業。81年から警視庁科学捜査研究所研究員。95年に発生した地下鉄サリン事件でサリンを最初に同定。オウム真理教関連事件捜査に特別派遣。96年、初代科学捜査官に就任。和歌山毒物混入カレー事件(1998)、ルーシー・ブラックマン失踪関連事件(2000)、新宿歌舞伎町ビル火災など、全国で発生した多くの事件捜査に科学的立証の立場から貢献。日警察で初めて「捜査支援」構想の企画・立案・運営を行った。03年、初代警視庁犯罪捜査支援室長。以後

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    otakky 2021/09/18
  • 第1次大戦後の大国間協調と日本外交

    20世紀の二つの世界大戦に挟まれた時代、日は帝国主義的な外交路線から国際協調路線に基づく新外交への道を模索していた。第1次大戦後の国際社会と日外交を解説する。 第1次世界大戦後から1920年代の日は、それまでの帝国主義的な外交路線を転換し、世界的軍縮の流れに沿い国際協調に努めるとともに、中国に対する内政不干渉政策を追求した。これは不利になった国際環境のもとで日が追い込まれた結果であるというイメージがあるが、それは日なりの新外交への対応であったことを述べたい。 第1次世界大戦が積極化させた自立的“対中外交” 今からちょうど百年前の第1次世界大戦の勃発は、日の対外政策、特に東アジア政策に大きな影響を与えた。1912年の清王朝の崩壊以後、中国の混乱が始まり、日中国政策は積極化、かつ多様化した(「辛亥革命が日政治に及ぼした影響」)からである。しかし諸列強間の利害対立が激しい環境下

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    otakky 2014/07/11
  • 日本を救った男-吉田昌郎元所長の原発との壮絶な闘いと死

    東日大震災の際、福島第1原発事故の収束作業を現場で指揮した故・吉田昌郎元所長。吉田氏への長時間インタビュー、多くの関係者取材を行ったノンフィクション作家が、改めて吉田元所長の闘いを振り返る。 「お疲れさまでした。当にありがとうございました」 7月9日午前11時32分、吉田昌郎・福島第1原発元所長が亡くなったという一報を吉田さんの親友からもらった時、私はそうつぶやいて胸の前でそっと手を合わせた。 吉田さんは、最後まで原子力発電に携わる人間としての「義」を忘れず、「チェルノブイリ事故の10倍」規模の被害に至る事態をぎりぎりで回避させ、文字通り、「日を救った男」だった。今も東京に住み続けている一人として、吉田さんへの心からの感謝の念が込み上げてきたのである。 国家の「死の淵」で闘い、「戦死」した男  吉田さんは、昨年2月7日に道がんの手術を受け、回復するかにみえたが、7月26日に今度は

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    otakky 2013/09/30
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