僕は中学4年,高校1年の計5年間,駒場東邦といういわゆる進学校にいたが,いろいろと大事なことを学んだ.まず,相対的な自分の能力を見極めること.物理部で回路設計やプログラミングを次々とマスターする後輩たちをみて,ぼくは技術そのものでは勝てないと割り切って,技術を生かすことを学ぼうと新聞部の活動に力を入れた. 中学の頃から親父が家に持ち帰っていた日経コンピュータとかを読んでいて,ちょうどBPRとかが流行っていた時期なので,組版の電子化に合わせて業務フローを見直し,入稿から3週間かかっていた新聞発行のリードタイムを3日間くらいまで短くするとか,そういうことをやった. 確か体育祭の特別号で入稿タイミングの都合で自分が記事を書かなくてはならないことがあったのだが,たまたまその体育祭が,生徒が揃った後で雨天中止となったところを,生徒が学校を占拠して臨時放送を流し,校門でピケを張り,自主開催に漕ぎ着ける