昨日のフラグメントではひぐらしを元に「いい人」と境界線の曖昧さや逆説の話をしたが、今回の覚書はそれを踏まえた「沙耶の唄」関連が多い。具体的には<アーキテクチャの活用>、<表現形式の裏表>、<沙耶と君望~>の三つが該当するのだが、詳しい話は「日本的想像力の未来」でするつもりなので予備的に触れるにとどめる。ここでは、(作者自身の)狙い通りの反応をさせる表現形式の選択(=主人公主観と第三者視点)を問題にしているわけだが、端的に言えばそのことに作者が全く無頓着なばかりか市場分析もろくすっぽできてないので「こいつほんまにアホやなあw」という話。とはいえ、ここに見られる無戦略性(ナイーブさ)それ自体は、様々なことを考える上で非常に参考になる。 たとえば作者の虚淵玄は設定資料集のインタビューで宗教戦争などを取り上げつつ狂気の話をしているのだが、その割に沙耶を異物と見て何ら疑っていないし、また沙耶を恋愛の
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