2019年11月29日、戦後7位の長期政権を運営した中曽根康弘元首相が逝去した。享年101歳。中曽根政権といえば、「三公社民営化(国鉄→JR、電電公社→NTT、専売公社→JT)」と、日米同盟の強化、とりわけ「ロン・ヤス」関係、さらに「戦後政治の総決算」スローガン、「不沈空母」発言を真っ先に思い浮かばれる方も多かろうと思う。 また、タカ派で保守政治家としてのゆるぎない政治信条から、現在でもその評価は、評価者の立ち位置によって激しく分れている。 ここでは、中曽根氏の政治家としての一貫した姿勢である「保守」の立ち位置に特にスポットを当て、その「功と罪」を振り返りたい。 1】「保守・タカ派・改憲論者」の政治家として 中曽根氏は1918年、群馬県高崎市の材木商の息子として生まれる。幼少時から秀才として知られ、静岡高校(現静岡大学)を経て東大法卒で内務省に入り、海軍主計中尉として任官され、現役時代は南