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2009年8月26日のブックマーク (3件)

  • 中里一日記: どこの誰とは言わないが

    どこの誰とは言わないが まず、〈同性愛〉も〈性欲〉も〈ポルノグラフィー〉も〈エロチカ〉も、性という制度の中にしか存在しない語彙であることを確認しよう! 「「「確認しよう!」」」(シュプレヒコール) この理解に立った上で、 「性という制度に適応してる私たちって超クール、適応できてない連中は超ダサい」 「あなたもさっさと性という制度に適応して、私たちみたいにクールになりなさい」 という権力欲丸出しの文章を読まされると、殺意が沸いてくるのは私だけではないはずだ。 百合がなんであるにしろ、少なくとも、こういう権力志向オヤジに対する闘争でなければならない。

    otomo
    otomo 2009/08/26
    ”〈同性愛〉も〈性欲〉も〈ポルノグラフィー〉も〈エロチカ〉も、性という制度の中にしか存在しない語彙”←これらの語を同一に並べる中里氏のセンスにさむけがした/百合論らしいので、百合タグを一応つけておく。
  • 中里一日記: 映画『LOVE MY LIFE』

    映画『LOVE MY LIFE』 やまじえびね原作のレズビアン映画である。現在、渋谷のシアターNにて公開中。 この映画の見どころ: 1. 役者 2. オサレ 3. 石田衣良(作家) 見てはいけないところ: 1. 図式的な思考回路 2. 凄味のないオヤジたち 3. 翻訳家と作家がオサレな商売という謎ドリーム 特に1は最悪だ。この映画(原作もだが)のセリフは、百合的なものから一番遠いところにある。 こういう図式的な思考回路のことを深く突っ込むと、百合の根底にかかわる大問題になるので、いままで意図的に論じないできたが、百合業界も安定してきたので、今日は突っ込んでみる。 人間は他人のことに関心がないので、他人事はすべて図式的な理解で済ませる。かくして人間社会はすべて図式的な理解にもとづいて構成される。 「レズビアン」と言挙げする人々は、この図式的な理解を相手取って言挙げしている。だから「レズビアン

    otomo
    otomo 2009/08/26
    中里氏による「レズビアン」を「言挙げ」することは「図式的な思考回路」に陥るという説/後半読むと、この人は「レズビアン」という言葉にどんな意味を見いだしてんだよ、とつっこみを入れたくなる。
  • 中里一日記: TVアニメ『GIRLSブラボー second season』第2話

    TVアニメ『GIRLSブラボー second season』第2話 1990年代のエロまんがには、劇的なイノベーションがあった。ポルノの分野で、これに匹敵しうる規模のイノベーションは、おそらく世界的にみても、1980年代日のアダルトビデオだけだ。 1970年代のエロ劇画やポルノ映画には、表現としては見るべきものがあったが、ポルノとしてのイノベーションは乏しかった。これは単純に頭数の差を反映している。1970年代、エロ劇画家やポルノ映画監督の絶対数は、現代のエロまんが家やAV監督とは比較にならないほど少なかった。 1990年代、劇的なイノベーションが進行するなかで、エロレズは停滞していた。今日では、旧態依然たるエロレズ作品は商業誌から姿を消し、ごく少数の突出した作品だけが誌面に現れることができる(へっぽこくん、SOFTCHARMなど)。 香織派は、エロレズの停滞を不可避とみて、百合を非ポル

    otomo
    otomo 2009/08/26
    中里氏の「レズ」という語の使用例。資料としてブクマ。