食器などをよく落とす。物をよく倒す。ちょっとした力加減を失い、勢い良くぶつけてしまったり、物の扱いがぞんざいになってしまう。 まず、これらはわが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者3人に共通して見られたものです。現在、長男と妻はほぼクリアしていて、実はここでの“概念”が非常に多くの【認知のズレの発見】につながったものでもありました。
わが家の娘と長男に見られた傾向として、ちょっとの違いなのに『違う!』と指摘してきたり、内容は同じなのにまるで間違っている様な態度で、最初から聞こうとしていない様な時もありました。 ちょっとの違いや、種類の差などにでも『違う!』確かに違うが、何か否定されたような印象を受ける『違う』の使い方はどこから来ているのか。また、子どもの場合だとそのまま『ダメなんだよ!』的に友達に説教を始めてしまう事も。
かつて長男がイヤイヤ期を終えた4歳初期。他人と自分の違いのとらえ方が分からず、【自分の思ったことは他人も思っているはず】と何の疑いもなく信じ、脳が別個に存在しているという発想がなかったため食い違いがある度に癇癪を起こしていた事を自覚した瞬間だった。 もちろん、それ以外にも色々な要因があったが、それらを理解し乗り越えていく段階で、最後に大きく土台を揺るがしていた認識がこの【他人との境界線】ということだろう。 次男はイヤイヤ期というほどの反抗や癇癪はなく、かといって言いなりに任せるような依存傾向もなく、自分の想いや考えと現実を比べながら歩んでいる姿があった。しかし、どうやら彼にもこの最後の【イヤイヤ期の峠】とも言えるような、幼児から子どもに変わる瞬間の、自我を獲得するための分水嶺が訪れようとしていた。
一年生の頃は運動会、持久走、なわとび大会などイベントがやって来る度に余裕を失い、フリーズ・パニック状態に陥るのが常態化していた長男。本人はまるで不安症に突き動かされているかのようにイベントで自分が“上手く立ち回れるかどうか”ばかりを心配し、体調を崩すまでクヨクヨ悩む事を続けていた。 成長というものは恐ろしいもので、彼は去年とは違うステージで悩み、そしてそれが何なのか分からないままフリーズに陥ろうとしていた。 まずは落ち着きがなくなる時期が始まり、だんだんと反応が鈍くなりだす。やがて家でもジッとしながら親の動きを観察している様な“うかがう態度”と、よそよそしい態度が始まる。そうしているうちに不安症状は悪化し、胃腸の動きが低下。突発的な仙痛や嘔吐を繰り返すようになる。
太腿の付け根にヒリつくような疲労感を感じながら、長く続く急斜面を早足で登る。大げさに手を振りながら、半ばヤケクソ気味にフォームを強調し坂を登り切ると、そこには地域一帯の風景が見下ろせる自然公園の広場に出る。 自然と田園風景と、なにより絶妙なバランス感覚で配置されている住宅地。自然ばかりであれば感嘆で終わるところだが、この地域は新興住宅地と古くからの家屋が混在していて、この高台からも人が息づく生活の気配が感じられる。……だから、飽きない。 関東を離れ、この地域に越してきて早くも6年が過ぎた。 越してきて以来、この散歩ルートは運動不足になりがちな私たち夫婦にとって、ちょうど良い運動強度と“家庭と仕事の打ち合わせ・与太話”をひと通りこなせる時間となる。ただ、ここ1~2ヶ月ほどは非常に忙しく、この“お散歩会議”の時間すらなかなか調整できなかった。今日はようやく予定していたイベント繁忙期のメインイベ
─── とらえ方のズレや自己評価を下げてしまう考え方など、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)に関わる特性の部分や、本人の特質の影響による部分を確認し、そこにぶつかりやすい物事や環境などを、構造化して整理して乗り越える。そうして普段から不安を抱えていたり、静かに追い詰められていた要素を減らしていく事で、実際の出来事と自分とのつながりに余裕を持って生活をすることが出来るようになる ───。 こうした流れではなく単に問題のみに対応してクリアした場合、その後、結構な確率で【違う問題】もしくは、【乗り越えたはずの物と同系統の問題】に直面したり、つかみ所のない不安定感が現れる事があります。この流れも3人共通でしたが、特に娘はこれが強く表面化していて、その原因が分からないうちは非常に困惑しました。乗り越えられたと思った矢先なだけにショックも大きいのですが、それは本人も同様で、場合によっては自責から
わが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者たちには、自分の意見やその時とらえていた事実と異なることに直面すると、【強く感情的に否定に走る】場合と【生返事や明らかに薄い反応ばかりで応じない】といった反応に出ることがあります。 という状況です。この状況が悪化していくと、そういう反応をすることが当たり前になってしまい、なぜそうなってしまうのか余計に見えにくくなってしまいます。こうなった時は、【本人の納得がいく理由を得る】か【何らかのショックやきっかけでパニックがリセットされる】など、本人が冷静にその問題に向き合える状況が必要になります。 しかし、本人の感情的な反応が、攻撃・逃避どちらであろうとも、このパニック状態から抜けなければ話題は極端な方向に走りがちになり、堂々巡りになってしまうことがあります。実際わが家では彼らが“どうして・どんな時にパニックに陥るのか”が掴めていなかった頃は、
第一関門突破。娘がよく陥るのは、大事な話を聞こうとする時に“いい子でちゃんと聞く態度”をしようとし過ぎて肝心な“話を理解する”という部分が抜けてしまうこと。そうすると返事や表情は理解しているように見えるし、質問にも模範解答で答えられるが、実際に行動しようとすると自分の実感ある行動とは結びつかず実にならない。 今、妻は娘の仕草にそれを見つけ、未然に防いだのだ。ここに気が付かずに話を進めると、そこまでの話がほぼ無駄に終わり、一から説明をしな直さなくてはならなくなる。……頭に言葉は残るので完全に無駄という訳ではないが、これが実感として彼女の言動に反映されるには、必ずどこかで“ちゃんと理解しようとする”必要がある。 こちらが働きかけずに彼女が実感として理解することがあるとすれば、【失敗して痛い目にあった時】が大半になり、本人の自己評価が下がる危険性が高い。
自分の気持ちや意見を言えないまま、ただ合わせ続けたために人間関係のバランスを壊し、自らいじめの種を蒔いていた長男。そのパターンも断ち切り、交友関係は改善され、家庭での雰囲気も一層軽くなった感触があった。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の家族と、その特性について向き合っていく場合、いくつかの独特な“何か引っかかる”パターンがあったりします。それらは実際は些細なズレだったりするのですが、本人や周囲の捉え方の違いによって、思わぬ難問になってしまうことがあります。 今回は私が今まで見つけてきた、家族としてASD当事者と関わっていく場合に、お互いに知っておくと気持ちが少し楽になったり、問題が見やすくなるいくつかのポイントを纏めてみたいと思います。 すでに診断済み、または未診断だが明らかにそうなのではないかと思われる場合も含め、これらのポイントは自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者との関わり合い方に限らず、一般の人間関係でも視点が違う相手の場合に有効かもしれません。
落ち着いてきて初めて分かるいくつかの特性。娘には今、その特性を無自覚のままに突き動かされ、しかし、ひとつひとつの行動は激しくズレてはいないために、問題視されていないものが見えてきている。 例えば誰かが何かをしているのを見ると、自分もどうしてもやらなければ気がすまなくなってしまい、止められても癇癪こそは起こさないが、内心非常に傷ついていて、確実にフラストレーションになってしまう。ただし、それは“目についた”事を自分の衝動や欲求と早合点する、0が一気に100になる瞬間でもある。 これは視覚情報だけではなく、誰かの会話から食べ物の話やお出かけの場所などが、ちらっと耳に入り認識した途端に【全力の欲求】になることがある。 また、自分が今思っている事にも全力になるため、その他の提案をされても一切の吟味なく断り、場合によっては完全否定までするものの、実際目の前で誰かが始めると、それをどうしようもなくやり
例えば女性の場合は男性に対し“記念日は覚えていて【特別】を演出する努力をするもの”であったり、男性は女性に対し“仕事に専念できるよう、家族の事は女性側で解決しておくもの”など、言葉や書面で交わしたことのない約束事(通念)があったりします。 ここにはお互いの【通念】と【言い分】が存在していて、何の前触れもなく、もしくは分かっていながら巻き込まれるように、摩擦を生み出すことがあります。お互いに答え合わせをした議題でない上、お互いが常識だと思っているため、突っ込む側の批判から入ることが多くなります。 わが家の夫婦関係の場合、妻の方にあまり性差由来の【通念】がなく、私も特にこだわりなく動くタイプなので、男女差の通念で衝突することはほとんどありません。その代わりに独特な【通念】を持っていたり、こだわりが【通念】の役割を果たしてしまったりと、変則的に『こういう時はこうするものだ』の壁が起こることがあり
そろそろ小学校入学のための準備も本格的にした方がいいかなぁと、立ち寄った書店の知育コーナーを見ていると、3~6歳まで対応の知育ドリルを発見。療育で受けた言語のテストからも、
夏も終わり、秋が近づくこの時期、わが家は毎年頭を悩ませていることがあった。それは小学校と保育所と地域のイベントが重なりに重なり、毎週の様に何かしら参加することが出てきて、且つ平日も遠足など子どもたちの行事が密集する事である。 単純に自分の意志とは違う、こなすべき行事でカレンダーが埋められていけばゲッソリとするものだが、わが家の場合は一般家庭に比べて、さらに一行程二行程の準備が必要になるのだ。まず一番気をつけなければならないのは、イベントに参加する子どもたちのコンディション調整。何かしらの練習が始まったり、遠足や運動会、お祭りなどに参加する行事日程を聞けば、否応なく興奮は高まり通常の生活もどこか浮足立つ。
パートナーが自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の場合、その伴侶が関係性や社会性、特性の違いからストレスや適応への強迫感を持ち、【カサンドラ症候群(カサンドラ愛情剥奪症候群など)】と呼ばれる症状群に陥ることがあります。 また、そこまで至らなくても、逃げ場のないような独特な閉塞感や、自分自身に発達障害などを疑い始めるといった自己評価の低下に関わる問題が起こりやすいことも知られています。 今回はそういった時になぜそこに陥ってしまうのか、また、なぜ自力では抜け出しにくくなるのかを私の体験を通して見えたメカニズムと、そこから快方へ向かうための方法論とそこに則した自助会やカウンセリングなどが“どうして有用なのか”についてまとめてみたいと思います。
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