「水」で失敗した藤原京と平城京 天武天皇によって、唐の長安に模した藤原京が676年につくられ、続いて元明天皇によって710年に平城京に遷都が始まった。中国の最新の土木建築技術が導入され、碁盤の目の道路がつくられたことが知られている。 さて、藤原京は、奈良県橿原市と明日香村にかかる都で、当時存在した奈良湖とは一番離れた地域である。それはなぜか。壬申の乱で天武天皇が勝利した直後であり、外患を防御できる盆地の一番奥に都をつくったと考えられる。その結果、舟運の便が悪くなった。結果、平城京に遷都されるまでの時間は短かった。さらに平城京に710年に遷都されてからも、恭仁京など幾つもの都を転々とし、平城京に落ち着いたのは745年のことであった。その後784年、長岡京に遷都されるまでの少なくとも39年間は、平城京が政治の中心地であった。 平城京は、物流面では北側に淀川から大阪湾に抜ける木津川と接し問題なか
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