柳家 小三治(やなぎや こさんじ)は落語家の名跡。現在は空き名跡。この名跡は中堅どころの位置付けであるが、「柳家(柳派)の出世名」といわれる[注釈 1][注釈 2][注釈 3]。七代目・八代目の柳家小三治は併存したことがある。なお、十代目は真打昇進から2021年に没するまでこの芸名を名乗り通した(後述)。 初代柳家小三治 - 後∶三代目柳家小さん 二代目柳家小三治 - 後∶二代目談洲楼燕枝 三代目柳家小三治 - 後∶三代目古今亭今輔 四代目柳家小三治 - 後∶二代目柳家つばめ 五代目柳家小三治 - 後∶四代目柳家小さん 六代目柳家小三治 - 俗に「留っ子」「坊やの小三治」。(1896年8月19日 - 大正半ば頃)は、落語家。本名∶内田 留次郎。1915年に三代目柳家小さん門下で柳家小志ん。1917年2月に柳家小きんを経て、1918年3月に演芸会社で先代が蝶花楼馬楽を襲名したために六代目柳家