三宅監督は、きっと、既にこんなにたくさん映画があふれている現代で (もう作らなくてもいいんじゃないか)、いま、なぜ、自分は、わざわざ、また映画をつくるのか?ということを、苦心して、誠実に、自分自身に問うたような気がします。 変な例えなのですが、たとえば、「愛」とかいう言葉があるとします。 時代を経ていく中で、もうずいぶんといろんなところで使い古されて、その「愛」のまわりには、たくさんの陳腐な意味づけもされたり、あげくには冗談にされたり… 現在では、ボクたちは、もう「愛」と聞いただけで、なんだか、とてもウソくさいものを連想してしまいます。 でも、もし、もう一度「愛」という言葉を信じたいと思えば、本気で思ったとしたら。 それには「愛」のまわりにくっついた、たくさんのものを、ひとつひとつ、ものすごい丁寧に、注意深く、慎重に、取り除いていかなければ、きっと、もう一度、本当のまんまの姿の「愛」 とい