ブックマーク / komoko.hatenablog.com (7)

  • 作り上げられた記憶、曖昧な記憶に振り回されるということ - もっこもこっ

    記憶というのは、自分だけのもので、他の人がどうこう操作できるものではない。 とはいえ、記憶は「絶対」ではないことを忘れないために書き残しておこう。 最近よくを読んでいる。 を読み終わって1週間ほど経ったところで、もう一度確認したい箇所が出てきた。 気になる文章が脳内で耐久盆踊り。 あの文章はどういう流れで出てきたんだろうと、再びをめくることに。 が、見つからない。 まるで氷がとけて、水に、そして蒸発してしまったかのように見当たらない。 わたしの記憶違いだったのだろうか。 探せど探せど、見つからない。 最近は並行で数冊を読んでいるので、もしかしたら、他のだったのかもしれない。 ここ最近読んだたちをめくってはめくって、探す探す探す。 読んだの中の文章。もう一度確認したいと、探すという行為に憑りつかれる。 (過集中の傾向は自覚がある) 憑りつかれつつも、AパートとBパートの間にCM

    作り上げられた記憶、曖昧な記憶に振り回されるということ - もっこもこっ
  • 余力、あそびを残すということ - もっこもこっ

    いやはや、気づくと2月最終日。 月に2~3回は更新したいとか思ってたのだけれど、 実際は仕事ばかりしていて、ブログは放置状態に。 とりあえず、まだ2月だし、書きたいこともあったし、書いてみようかと。 で、タイトル。『余力、あそびを残すということ』 「余力、あそびは大事だ」と思ったので書いてみる。 車のハンドルに「あそび」の部分があるように、あそびは必要。 ここ数年、仕事を引き受けすぎて、パンパンになって、 プレッシャーとかストレスで倒れそうになって、 それは今年は全力で回避したいなと。 いや、そもそも、この「全力」というのがよくないと気づいたわけで、 がんばるのもいいけど、余力を残すようにしないと! 結局は「自分で自分の首をしめることになるんだよ」と 自分に言い聞かせてる。 「考え方を変える」というか、「考え方(やり方)を変えないといけない」と気づいたのは大きな失敗をしたから。 今でも思い

    余力、あそびを残すということ - もっこもこっ
  • 自分の価値観を否定されて、どう思ったか。 - もっこもこっ

    最近、自分の価値観を真っ向から否定されることがあった。 いやはや、びっくりというか、ムッとなってしまった。 そんなに強い主張をしたつもりはないけれど、「私だったら~」と言うフレーズから始まるのは、十分主張になるのだな、とあとから気づいて自分に対して嗤(わら)ってしまった。 価値観を否定され、対立関係が生じてしまい、ここで「いつもの私」がpause(一時停止)ボタンを押した。そして退却。 対立関係は苦手だ。対立の舞台ができてしまった時点で、対立から衝突に至るのが嫌で、対立から去るのが「いつもの私」だ。 誰かに自分の価値観を否定されるのは面白いことではない。 でも反論というか、自分の価値観を押し付けようという気はさらさらなくて、仮に自分の価値観をゴリ押ししたところで、よい結果になるとは限らないと思ってしまう。 「これが自分の価値観なんだよね」「今更変えられない」などと頑固、融通が利かないそうい

    自分の価値観を否定されて、どう思ったか。 - もっこもこっ
  • 外に出ないことのメリット、デメリット - もっこもこっ

    出かけなければならないけれど、 できるなら出かけたくないという葛藤。音。 これは今年になってますます強くなった。 以前よりも買い物や用事をまとめて済ませるようになった。 基的には外出したくない。 どうしても外出しなくてはいけないのなら、買い物や用事を全部済ませてしまいたい。 そうなると、意外にかかるのが時間で、「うーむ」となってしまう。 短時間で行って戻ってくるほうが、リスクが少ない(?)ような気もする。 でも短時間の外出を繰り返したら、結局はまとめて済ませるのと同じか?うーん、どうだろう? よく読んでいるある作家さんのブログに書いてあったのだが、その作家さんは5分以上スーパーとかに滞在しないようにしているそうだ。 5分……それはちょっと無理かも。私がよく行くスーパーの広さから考えると。 コンビニなら目的の物だけ買って5分で終わるかもしれない。 スーパーのレジで並んで待つのでさえ5分は

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  • ほんわかと光るものがどこかに - もっこもこっ

    11月も今日で終わりということで、今思っていることをブログに書いてみることにした。 今月も忙しくて、メトロノーム テンポ120で駆け抜けたような気がする。 仕事をはじめ、いろいろと思ったとおりにいかないことが当に多くて、 最近では「あきらめの境地」に近づきつつあるのだけれど、 この「あきらめの境地」に近づきつつも、 まだ「やりたいこと」「やってみたいこと」があるので、 とりあえず、やれそうなことからやってみようと思っている。 これは良い意味で「あきらめが悪い」ということではないだろうか。 苦しい状況にあるのは、自分だけではない。 こういう状況であっても、まだやれることはあって、やりたいことがある。 まぁ、そのやりたいことはできないままなのだけれど、 まぁこれからやればいいか、これからやる楽しみがある、と思うようにしている。 「やりたいことがある」というのは、「一種の希望」みたいなもので、

    ほんわかと光るものがどこかに - もっこもこっ
  • 的確、簡潔な言語化と相手の理解について - もっこもこっ

    気がつくと、もう9月。 8月は、不調でブログは書けずじまい。 書けないときは、書けないものだ。 さて、今週、「頭がいい人」というのは、実に簡潔にこちらが知りたいことを説明してくれるのだな、と思うことがあった。 その人はわたしが知りたいことを的確に把握して、 なにが問題かをはっきり言語化してくれて、 どうしたらいいか簡潔に示してくれて、久しぶりに感情が揺さぶられた。その人に感動したと言ってもいい。 わからなかったことがわかった(理解できた)瞬間というのは、なかなか開けられなかった瓶のふたを開けられたときのようにうれしい。 もやもやと、何がどうなのか「わからないところがわからない」ということが往々にしてある。 「わたしのわからないところ」がわかる人、「ああ、多分ここでつまづいているんだろうな」と勘が働く人、 その人をわたしは「頭がいい人」だと思う。(あくまでもわたしの定義だ) 逆に「これくらい

    的確、簡潔な言語化と相手の理解について - もっこもこっ
  • 大切なのは「どんなときも落ち着いていられるか」 - もっこもこっ

    大切なのは「どんなときも落ち着いていられるか」 タイトルに言いたいことを書いてしまったので、 これ以上書いたとして、蛇足になりかねないと思いつつ、一応書いてみる。 わたしはアナログで日誌をつけていて、それは日記よりもっと簡素なもので、 数行その日あったことを書き留めているだけのものなのだけれど、 去年(2019年)の4月は新元号が「令和」と発表されて、日が「令和色」になっていたのだけれど、 令和発表の1年後「不要不急の外出は避けるように」とか「外出自粛」とか、そんな風になるなんて、 まぁ何が起こるかわからないもんだなぁというのが正直な感想。 連日のニュースを見たり聞いたり読んだりして、ひしひしと重苦しい気分になるのは、わたしだけではないはず。 なので、ニュースを見るのは必要最低限にしていいのではないかと。 あれこれ見たり聞いたり読んだりしたところで、特定の人の憶測ばかりが並んでいる場合も

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