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2017年3月11日のブックマーク (1件)

  • 李グウ - Wikipedia

    李鍝(り ぐう、イ・ウ、ハングル: 이 우、1912年11月15日 - 1945年8月7日)は、李王家の一族で、日の公族。陸軍大学校卒。広島へ投下された原爆の爆心地から710mの地点で被爆、翌日に逝去した。 父は大韓帝国皇帝高宗の五男李堈。母は側妾の金興仁。純宗、李王垠の甥に当たり、李鍵(桃山虔一)は異母兄、李海瑗は異母妹、李錫は異母弟、李源は甥。初名は成吉、雅号は念石・尚雲[1]。 生涯[編集] 日統治時代の朝鮮で京畿道京城府沙洞宮に生まれる。幼少期は鐘路小学校尋常科に通学し、運動が好きで活発な少年だった[2]。そして、ことのほか馬術を愛好していた[2]。 1917年に興宣大院君の孫(父・李堈の従兄)で、父李熹から公位を継承していた李埈公が急逝した。そのため5歳の時に養子となり、雲峴宮の第4代宗主と公位を継承[3]、薨去まで「李鍝公殿下」と呼ばれるようになる。 1922年(大正11年

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