佐藤亜紀明治大学公開講座第一回・ノート(2007.5.12) 表現はどこから生まれてくるか ――映像表現における『暴力』から考える 五回の公開講座は「表現及びそれにまつわる話」をめぐったものになる。 「表現」という表現を使ってはいけないという人もいるが、悩んだ末大蟻食さまは「表現」という表現をあえて使うことにした。 使ってはいけないという立場は、「表現」という言葉が"expression"-外側に押す-という英語の訳であり、脳内に、表現されるべき何物かが完全にできあがっていて、それを素材に対して型抜きをするような行為と見なされかねない、という心配から発している。 「作品」という表現も同様で、作者によって完全に作り上げられた確固たる存在を、受け手が受動的に受け取るというようなイメージを喚起しかねない表現である。 だが、一々映画なり小説なりを「テクスト」と呼ぶ行為には、少しばかりのこっぱずかし