まず思い浮かぶのは、8月15日の、いわゆる「終戦の日」である。映画にもなった半藤一利の小説『日本のいちばん長い日』によって、8月14日の宮城事件(クーデター未遂事件)から翌15日の昭和天皇の「玉音放送」までの2日間に、戦争終結をめぐる攻防があったことはよく知られている。 では「玉音放送」が、戦争の終結であったのだろうか。政府・軍部でポツダム宣言の受諾が決定されたのは、確かに前日の8月14日に開かれた御前会議の場であった。しかし、15日の「玉音放送」は、昭和天皇が国民に向けて無条件降伏を受諾する意図があることを伝えた放送にすぎなかった。連合国側にとって実効性はなかったのである。 2番目にあげられる「終戦」の日は、米戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印がおこなわれた1945年9月2日である。天皇および政府の命により外務大臣重光葵、大本営(「大本営令」は11月30日に廃止)の命により参謀総長梅津美治
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