皆が知っていることを知らないことで得点をえるという逆説的なゲームがあるとかないとか。 http://www.hakusuisha.co.jp/essay/2010/01/18/1040.html 誰もが読んでいると思われているが、実は自分は読んでいないという有名文学作品のタイトルを挙げて、参加者の内でその作品を読んでいる人の数が得点となるというゲームである。つまり、得点(作品を読んでいる人の数)が高ければ高いほど、その人に教養がないということになるというその名にふさわしい残酷なゲームなのだ。 http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20140616/1402912866 ふふふ……これなら誰も勝てまい……アイザック・アジモフ『われはロボット』! 特にSFクラスタでもなく、テッド・チャンやジェイムズ・ホーガンを全く読んでいない自分ですら既読だった…… しかしこれは趣味人が優越
これも寝て起きて見てみたらブクマが22も付いていたので追記。 この記事は5年前の「0ブクマで落ちてた増田」のコピペです。 http://anond.hatelabo.jp/20090901081839 なんというか、こういう過去の忘れられた遺産(?)みたいな物ってもうネットのあちこちに転がっているから 増田にかぎらずそういう物を漁って集めて、適当につなぎあわせて文面少し変えて記事にすれば それだけで充分だと思うんだよね。 目標とか夢とか持つのはいいんだけど、 なんてーか 「他者次第」の夢は、持ってても仕方が無いというか、持つと苦しくなるだけなんじゃないか?もしかして。 他者次第っていうのは、たとえば「他者に認められたい」とか、「愛されたい」とか、「優越感ゲームで勝ちたい」とか「神!とか言ってチヤホヤされたい」とかそういうやつ。 いや、「他者次第」を完全に省くのは、社会ってのが他者ありきなわ
「屈辱」という,非常に悪趣味なゲームがある。 デイヴィッド・ロッジの『交換教授』といえば、「屈辱」である。これは誰もが読んでいると思われているが、実は自分は読んでいないという有名文学作品のタイトルを挙げて、参加者の内でその作品を読んでいる人の数が得点となるというゲームである。つまり、得点(作品を読んでいる人の数)が高ければ高いほど、その人に教養がないということになるというその名にふさわしい残酷なゲームなのだ。最初に読んだ時、私は自分こそこのゲームの勝者になれると思った。今も思っている。この小説を読んだ人はどうやらみんな同じことを考えるらしい。白水社 :連載・エッセイ 再読愛読 山崎まどか(1)『交換教授』 わたしは『交換教授』を未読なのだが(別にこのゲームを紹介するからというわけではない),この「屈辱」というゲームのことは又聞きにせよものすごい印象に残っていて(『ハムレット』と口走ってしま
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