タグ

2009年1月28日のブックマーク (1件)

  • 坂のある非風景 私の言葉が終わるとき

    「言葉を信じる/信じない」といった宣言がある。ということは、言葉は私の外にある何かである。そして私の外にある何かによって、私だけの世界が成立する。私だけの世界は、私の言葉が終わるときに全的な終焉を迎える。それをひとつの死の定義と考えたい。 言葉に触れる手段は二種類しかない。昼に触れるか、夜に触れるか、である。昼に触れるものを詩人と呼び、夜に触れるものを言語学者と呼ぶ。それは駆使する人と探究する人だ。しかし以前、このブログでベケットの作品に触れたとき、「純粋小説」、<言葉は用法にある>というヴィトゲンシュタインの言葉を紹介したが、探る人は使う人であらねばならないといった意味に読み取れる。夜に言葉に触れる人は昼に触れる必要があるということだろうか。また大江健三郎と中上健次の対談でロシア・フォルマリズムが中心的な話題となっていたことを思い出せば、昼に触れる言葉こそが夜に触れる言葉の先にある。 ふ