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societyに関するpadma37のブックマーク (4)

  • 世界観について自己責任でセーフティネットがない国 - アンカテ

    の社会システムは、欧米から輸入された部分と日独自の部分があって、和魂洋才の二重構造になっていることは、今では広く知られている。ひとことで言えば、社会と個人で成立しているシステムを輸入する時に、日では「世間」というローカルなシステムを温存し、社会と個人の間にこれを再配置した。 たとえば、自然災害があった時に、自衛隊が避難所の公民館まで料を届けてくれれば、それを各人に分配するのは「世間」の仕事になる。実際の運用は違うかもしれないが、そのような形で人は「世間」をイメージし、これに縛られつつ貢献してきたのだ。 社会、あるいは公共性とは、日においては、複数の世間の間に立つ調停役でしかない。所属する世間を持たずに名刺の肩書に書けるような世間の中でのポジションを持たない者は、社会の一員とはされなかった。社会と個人の間にダイレクトな接点はない。必ず、個人は世間と通して社会と相互作用をする。個人

    世界観について自己責任でセーフティネットがない国 - アンカテ
    padma37
    padma37 2007/09/29
    阿部謹也が。なつかしい。
  • 赤の女王とお茶を - 百億の田舎と千億の世間

    骨を埋めます なんだこれ。 私もこれまで地方都市にしか住んだことがないけれど、こんなシチュはお目にかかったことないなあ。 ただ、それは私がド庶民だからかもしれません。「Kさん」がコネで「地元の最有力企業」に「確実」に入社できるところを見ると、かなりの名士の家柄なのでしょう。一般地方人じゃ絶対ムリ。 となると、これは田舎の問題なのか?という気がしてきます。それもないとはいえませんが、例えば東京の由緒ある家柄の子女が突如関東圏以外に永住の決意を固めたとして、似たような事態が起こらないのかな? とはいえ、これがいわゆる「世間」の問題であることは間違いありません。 「世間」といいましたが、実際のところ、この概念には二つの貌があります。 1.幻想共同体としての「世間」 2.生活共同体としての「世間」 例えばこちらでessaさんは「世間」ヘイトをぶちまけているわけですが、ここで批判されている「世間」は

    赤の女王とお茶を - 百億の田舎と千億の世間
    padma37
    padma37 2007/09/29
    世間サマ…はともかく。「生活世間」はなるほどそうかも。
  • Mr_Rancelotの「専業主婦」批判を読む。(おわり) - ちゃずけのはてなにっき

    つい先日、中学生の娘が朝のアンケート結果について「朝を誰とべるか」の問いに 「うちの中学の生徒はほとんどが「子供だけでべる」だったから、よくない、って言われた」 と不満そうに話した。「朝御飯を子供だけでべるってそんなに悪いかなあ、みんなそうじゃないの?」 と至極もっともな話しをしていくぶん傷ついているようなので、 私は「子供だけでもお母さんやお父さんが狭い家の中で仕事に行く前に洗濯したり片付けして うろうろしているんだから悪いことじゃないよ」と答え納得させた。 私はこんなアンケートがごく普通の悪気のない家庭をまるでおかしな環境であるかのように 作為を持って示されるのに腹を立てている。これは初めから狙った結果を得られるように 作られたアンケートではなかったか。何かとバタバタする朝時間に家族そろって「いただきます」なんて、 「理想的」かもしれないが、現実はそうじゃない。 このアンケ

    Mr_Rancelotの「専業主婦」批判を読む。(おわり) - ちゃずけのはてなにっき
  • 例の電車内暴行事件でさ

    やたらに被害者の落ち度を探す奴いるけど それを「今後の反省」に生かすために議論してる奴どれだけいるんだろ? ほとんどがただいたずらに落ち度をあげつらってるだけな気がする。 結局、怖いからさ。嫌過ぎる事件を、直視できないから、 被害者にも何らかの落ち度があったことにして、 そして「自分及び自分の身内は、そんな落ち度は犯さないから、大丈夫だ」 と思いたいんだよね。でもそれって危険だよね。 正直、「助けて」って一言いったら、その30人の乗客が助けてくれたかっていうと それはすっごく怪しいっしょ。なんか、「助けて」って言わなかったからだ みたいになってるけどじゃあ助けてって言えば当に上手く言ったのかな 勿論言った方が可能性は上がるからいった方がいいけど そういう問題じゃなくてさ。余りに「助けて」って言わなかったからダメだったんだ ってとこに、必死にもっていこうとしてる感が、なんだか不安だ。 そこ

    例の電車内暴行事件でさ
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