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論争に関するpal-9999のブックマーク (6)

  • 誰も批判しない2chまとめブログの問題点 - 鍵大工学部

    他人の不幸は蜜の味: ファミリーマートで売られている「半熟ゆで卵」は半熟ではないので、十分に注意してください。takoponsの意味 - 勧善懲悪時代劇ネットイナゴロウekken♂ : 最近のネットイナゴ痛いニュース(ノ∀`):「”半熟ゆで卵”は半熟でない」とクレーム記事書いたら販売業者がコメントこの一連の騒動を見て思ったのは、有名になりすぎた2chまとめブログと、そこに潜みうる悪意について。2chまとめブログというのは2chからまるまる転載して公開して終わりではなくて、面白いネタを見つける・書き込みを選別する等の「まとめ作業」をしている。この2chまとめブログのやっている「情報加工」という作業は、テレビや新聞がやっている事とほとんど同じなんだよね。つまり、そこにはマスコミと同じような問題が起こりうる。事実を装って、自分の意見や悪意を込めることができる。火の無いところに煙をたてることもでき

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    pal-9999 2006/08/20
    いや、だから、この手の話をするときは、「正しい」と「客観性」の定義を別個に行わないと。
  • どういう時に「価値観の押し付け」を感じるか:ekken

    相手が「読まない」と言っているトラックバックも、送りつける意味はある(ユタカさんのコメント) また価値観について持ち出されていますが、価値観は違って当たり前なのでケンカや粘着や批判の理由にはならないと思います。価値観がそれぞれ違うことを前提としていればの話ですが。価値観の押し付けと多くの人が語るとき、それは押し付けでないことが多いようにも思います。ただの異見だと。えっけんさんの記事もそう考えると、ただの異見が価値観の押し付けに思われていた可能性があり、同様のことからはむはむさんを呼び込んだのだとも思えます。 ユタカさんは「価値観は違って当たり前で、それがケンカや批判の理由にはならない」と仰っています。 が、僕はブログのコメント欄における揉め事の大部分は、相手の価値観を認めることができずに、自分の主張を「相手のブログのコメント欄」に書き込み続けることから始まる、と思っています。 僕は以前から

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    pal-9999 2006/05/29
    価値観押し付け問題
  • おれはおまえのパパじゃない - 価値観の押し付けと感想メソッド

    何か一言でも言おうものならものすごい勢いで「それはあなたの価値観でしょう! 価値観の押し付けはやめてください!」とか言われるのがブログ界の常であり、それを回避する最善の策が感想メソッドだということは、ブログどっぷりの皆さんならとっくにおわかりのことと思う。「〜と思った」、コレ最強。吉岡さんが○○のことを△△だと思うことを誰も止められない。にも関わらず、吉岡さんが○○のことを○○だと思うことは自分に対する価値観の押し付けだと主張する西山さんがいたりするのでブログ界はなかなか侮れません。実を言うと、感想メソッドは押し付けから最も遠い位置にありながら、洗脳合戦の有効な武器として働いているので、西山さんの主張も全く間違いだと言い切れないわけですけども。でも西山さんが騒げば騒ぐほど、吉岡さんの武器は有効に働くので、それはそれでいいのです。

    おれはおまえのパパじゃない - 価値観の押し付けと感想メソッド
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    pal-9999 2006/05/29
    価値観押し付け問題
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…

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    pal-9999
    pal-9999 2006/05/16
    本日はお怒りのようです。
  • 「文化系女子論」と「萌え」の構造 - 烏蛇ノート

    文化系女子論をめぐる論争については、当のMasao氏も謝罪したことだし、あまり余計なことは言わずに黙っておこうと思っていたんですが、kmizusawa氏に対するLeiermann氏の反論記事を読んで考えを改めました。 文化系女子論をめぐる議論の流れについては、utsutsu氏がこちらとこちらでまとめておられるので、初めて見る方は参考にしてみてください。 Leiermann氏は一連の「文化系女子萌え」騒動に関して次のように述べています。 正直な話私自身はこの件自体に関してはどうでもよく、「好みのタイプ」「理想の異性」という話は、深いところでは無意味であると考える立場だ。そのようなことをいくら妄想していても、実際に好きになってしまう相手はそういう「理想」とおおよそかけ離れた人であることが世の常だと思うからである。 だから、このような話は所詮は与太話であり、ただの戯言と聞き流せばよいはずである。

    「文化系女子論」と「萌え」の構造 - 烏蛇ノート
  • http://amakara.tea-nifty.com/amakara/2005/09/post_674d.html

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