生きていると、自分の罪を思い出して耐えかねるときがある。それは他人から見れば小さなものかもしれない。誰かを言葉で傷つけた、誰かの損になることをした、誰かの失敗を嘲笑った、誰かに嘘をついた。反省も後悔もいつまでも続いている、でも、罪を犯した自分の心はうす汚れてしまって、もうもとには戻らない。 ねえ旦那、おれは救われますか?祈れば救われますか?死んだあとで救われる?じゃあ祈らねえ。いまこの心にさかさ棘みたいに突き刺さっているのが消えないなら、祈る意味はねえんだ。ああ、生きることが罪なんですか、じゃあ旦那はなんで生きてなさるんで? 罪を犯すというのは、そういうことだ。では、罰とはなんだろう。 罪と罰 乱暴な書き方をすれば、罰というのは、人間の価値を量って、そこから犯した罪の分だけ引く、というものだ。 だから、与えられる罰と、罪を犯すことでかぶるかもしれないリスクを比べたとき、与えられる罰の方が重