2019年9月28日のブックマーク (2件)

  • 「私は2級市民」旧東独で6割 30年過ぎ、なお心の壁:朝日新聞デジタル

    ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

    「私は2級市民」旧東独で6割 30年過ぎ、なお心の壁:朝日新聞デジタル
    palop
    palop 2019/09/28
    慣れ親しんだスーパーや工場が全部潰れ、代わりに西独企業が西独の商品を積んで進出してきたら、「ああ、俺たちは消費者としての役割だけを求められて吸収合併された植民地住民なんだ」と思うのも無理はないだろう。
  • 20年間発達障害者として生きてきた私の話

    はじめに私は幼い頃に発達障害と診断されました。当時は広汎性発達障害と診断されましたが、これは現代の言葉で言うと自閉症スペクトラム(ASD)にあたります。 発達障害というのは「自閉症スペクトラム・ADHD・学習障害」と3つに分類こそされていますが、それぞれの症状を併発していることが珍しくなく患者を3つに区分するのは難しいそうです。たとえば私が持つ障害は自閉症スペクトラム的なモノが主ではありますが、ADHDの区分に入るモノもございます。この境界はとても曖昧なのです。 ですから、自閉症患者ではなく発達障害者と名乗らせていただきます。 早い段階で自覚できたということが幸いし、人にも恵まれたためこの障害と上手く付き合っていくことができました。それらについて思ってきたことをつらつらと書き連ねていきます。 まず私の主だった症状を紹介しましょう。 コミュニケーション障害他人に無関心多動症上2つが自閉症的な

    20年間発達障害者として生きてきた私の話
    palop
    palop 2019/09/28
    特に男性の場合、本人の中では一貫してても未成年の時はサポートが必要な障害者だったのに成人になると甘やかされて許されてきた権力おっさん扱いされるから大変。桜田五輪相みたいに儀礼的な役職に着くと失言の嵐。