2018年10月4日のブックマーク (1件)

  • 遺書 - すたらブログ

    この記事は予約投稿したものだ。 この記事が公開される時刻には、私はすでに死んでいるだろう。 このように準備は整えたわけだが、淡々と自殺しようとしているわけではない。 死ぬのは怖いし、死にたくないと考えている。 それは当然だ。 死を怖くないと感じるなら、それは生命維持の基礎部分に問題がある。 もしそうなら、今日まで生き延びることも難しかっただろう。 生命維持の機能に問題はない。 だから、死にたくないと考える。 しかし、社会の中で継続して働くには問題がある。 だから、死ぬしかないと考えてしまう。 ただし、他人に対して「継続して働けない人間は死ぬべきだ」と言うつもりはない。 相模原事件の犯人や、「自業自得の透析患者は殺せ」と言った長谷川豊さんの意見には同調しない。 人や近い関係者ではない、同じ社会の一員というだけの人間や行政が、他人を役立たずだと判断して殺せるようになったらどうなるか。 健常者

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    panda124
    panda124 2018/10/04
    無責任に生きろとは決して言えない。だけど、なんだろうか。悲しい。[セーフティネット][社会保障]