ドイツ人の環境意識は高く、国も「環境先進国」として各国の模範とされています。高い環境意識を持つ国民は有権者として政党にプレッシャーをかけ、政権政党は厳しい環境関連立法で主として産業界に規制をかけています。そうしたドイツ社会における環境意識は実は国内の環境汚染の歴史と無縁ではありません。 最初の大きな環境汚染は戦後の経済復興の拠点となったルール工業地帯から排出されるばい煙でした。それは晴れた日でも青空が見えないほどの状況であったと言われています。当時、野党党首だったブラントは1961年の選挙戦で初めて「ルールに青空を」のスローガンを掲げ、1968年に政権に就き環境保護政策に着手しました。 国内の環境汚染はその後もセベソ事故によるダイオキシン汚染、酸性雨被害、チェルノヴィリ原発事故と後を絶たず、国民の環境問題への関心や環境意識に大きな影響を及ぼしました。結果的にそれが政府と企業に対して環境保全
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く