ブックマーク / mazmot.hatenablog.com (4)

  • 私は道に迷わない - だからアブナイ奴、という話 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    山岳部の連中は、案外とよく道に迷う。昔のことで、GPS使うのが一般化したいまのことは知らない。笑い話のようではあるが、反省会とか行くとアプローチで道まちがえたとか、下山の道に迷ったとか、割とよく聞いた。自分自身でも、しょっちゅう道を踏みまちがえてた。理由は簡単で、山岳部の連中は基的には地形を読む。地形を見て、地図を確認し、自分の現在位置を把握して、方向を決める。だから、登山道のないバリエーションルートであるとか、あるいは登山道が雪に閉ざされてしまう冬山とか、そういうところでも安全に行動できる。ルートの選択は「あっちの斜面は雪崩れそうだ」とか「あそこの尾根に取り付いたら上部の処理がヤバいな」とか、そういった判断で行われるのであって、そっちに登山道があるかどうかとか、そういったことからはほぼ独立している。その判断をまちがえたら命にかかわるから、等高線の読み方みたいなことは徹底的に叩き込まれる

    私は道に迷わない - だからアブナイ奴、という話 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
  • 中学受験は、そろそろ根本的に変わったほうがいい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    役に立ってない中学受験勉強 中学受験はおよそ害悪だ。私がそう思う理由は単純だ。それが子どもたちの役に立っていないからだ。中学受験制度そのものは、それは何らかの役に立っているのかもしれない。少なくともそれを実施する私立中学校にとっては、メリットがあるはずだ。そうでなければやらないだろう(そのメリットも、後述するように怪しいものではあるけれど)。けれど、当事者のもう一方である子どもたちにとって、得られるものは「合格」以外のものはなにもない。そういうものだと言ってしまえばそれまでなのだが、じゃあ、合格競争のためだけに貴重な時間を無駄にすることはどうなのか、ということになる。私はそれを害悪だと思う。 なぜ、「子どもたちの役に立たない」というのか。それは、家庭教師としての経験からだ。私は中高一貫の私立中学・高校の生徒の指導にあたった経験が過去に何件もある。いずれも中学受験を無事に突破した生徒たちだ。

    中学受験は、そろそろ根本的に変わったほうがいい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
  • 疑いだしたらきりがないという話 - シアワセの容相

    どうでもいいブコメに割とホシがついているので、補足しておこう。 家に届いた怪しげな封書がこちら→調べてみたらやっぱり詐欺だった「何と手の込んだことを」 - Togetter こないだ実家に「警察です、特殊詐欺が増えていますのでご用心を」とかいう人が来たそうだが、80超えたウチの母親は「あいつが怪しい! 写真撮っとくべきだった」と言ってる。 2018/12/22 08:34 b.hatena.ne.jp この事件(?)が起こったのは1週間ほど前で、たまたま在宅していた母親(事情で不在なことが多い)の家の玄関口に、私服の男が立った。ちなみに実家は50年ほど前に農村から都市化した地域で、現在はすっかり住宅地になっており、さらにかなり前から道路工事が継続していて交通整理員なんかも常駐しているので、まあ人目も多くて犯罪の起こりにくい地域だと思われる。 さて、母親が出てみると、男は何やらメダルのような

    疑いだしたらきりがないという話 - シアワセの容相
  • 小中学生は足し算を正しく理解しているか? - 正しさは人によってちがうのだけれど - シアワセの容相

    たぶん他の家庭教師はやらないことなのだけれど、私は特殊な事例を除いてほぼ受け持ったすべての小学生、中学生、高校生に対して、小学1年生の算数の復習から数学(算数)の指導をスタートする。なにしろ、学校で教えられる教科のなかでも数学はことさらに積み上げが重要な学問だ。四則演算ができない生徒に方程式を教えようとしても無理だし、方程式がわからない生徒に一次関数を指導してもすぐに行き詰まる。ひとつひとつパズルのように組み立てていかなければならない教科だから、そのピースが欠けていないことを確認することは重要だ。そして、四則演算は算数のなかでももっとも基礎であり、それは小学校1年生の最初からはじまっている。だから私は、たとえ国立難関校を目指す高校生であっても最初にこう尋ねる。「小学校1年生の算数のいちばん最初に、何を習いましたか?」と。 中学生、高校生は、ほとんどが「1たす1」とか「足し算」と答える。これ

    小中学生は足し算を正しく理解しているか? - 正しさは人によってちがうのだけれど - シアワセの容相
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