ブックマーク / note.com/campintheair (6)

  • 恋愛の苦手なところ|伊藤聡

    恋愛は構造に欠陥がある私はずっと恋愛が苦手で、まったく克服できないまま歳を取ってしまった。昔からうっすらと感じていた恋愛への違和は、日に至るまで拭えないままである。こう、いろいろとしっくりこない。個人的な意見だが、恋愛という風習には仕組み的に上手く成り立っていない部分があるし、構造に欠陥があるのではないか。何というか、松屋の券売機くらいシステムが間違っているとしか思えないのだ。かくいう私はもう、これから恋愛をする必要はないし、年齢的にもムリなので、恋愛を卒業(単位未修得なので正しくは中退)した気楽な立場から、この問題について考えてみたいと思う。 私が恋愛でいちばんよくないと思うのは、「相手からより多くを奪い、自分の取り分にすることが成果として評価される」という、独特の野蛮なルールである。これはイヤですね〜(たけしメモ)。この乱暴さが嫌いで、私は恋愛になじめなかったと言ってもよい。具体的に

    恋愛の苦手なところ|伊藤聡
  • 世間のスニーカーブームがいきなり終わってしまったのですが|伊藤聡

    スニーカーに熱狂した日々の終わり2023年、驚くべきことにスニーカーブームが終わってしまった。当に終わったのだ。これはなにも「私自身がスニーカーに飽きてしまった」「マイブーム終了」という意味ではない。世間的に、そして何人かの識者の意見によればおそらく全世界的に、あれほど熱狂的だったスニーカーブームがいきなり終焉してしまったのである*1。店頭には買い手のない製品が積まれ、メーカーはセールを連発し、ショップは次々に閉店し、新製品を買うための行列はなくなった。スニーカーショップ「atmos」を立ち上げた明秀文氏(現在は退社)と、ディレクターの小島奉文氏は、スニーカーブームは2014年あたりから格的になり、それ以降はずっと右肩上がりだったと語っている*2。約8年から9年のあいだ、人びとはスニーカーの争奪戦に明け暮れ、寝ても覚めてもスニーカーに夢中であった。レア製品の転売額は、二次流通市場で元

    世間のスニーカーブームがいきなり終わってしまったのですが|伊藤聡
  • 「マンガとは卵かけごはんである」理論|伊藤聡

    マンガが読めない、という私の悩みについて、マンガ好きの知人と話した内容を再現しました。発言中の「◆」は知人、「伊」は私です。 ◆「伊藤さんはマンガ読めないって言ってましたよね」 伊「読めないです」 ◆「でも『スラムダンク』は、映画見てハマって、そこから原作も全巻読んだって言ってたじゃないですか」 伊「そうですね。読みました。メッチャよかった」 ◆「マンガ読めないのに、スラダンどうやって読んだんですか」 伊「あー、いい質問ですね。一応は最後までページをめくってあらすじを追いましたし、内容は理解できました。何なら感動もしたんですけど、その、完全には読めていないといいますか」 ◆「その『完全に読めてない』っていうのがわからないんですよね。イメージとして想像しにくいんです。スラダンは、伊藤さんからどんな風に見えてるんですか」 伊「たしかに伝わりにくいかも……。ストーリーや作者のメッセージは正しく把

    「マンガとは卵かけごはんである」理論|伊藤聡
  • 『竜とそばかすの姫』と、細田監督はダメ出ししてくれるスタッフを雇いましょうの巻|伊藤聡

    ※結末を含む内容について触れていますので、未見の方はご注意ください まず書いておきたいのは、私は今作で主人公役の声優をつとめたミュージシャンの中村佳穂を、デビュー当時から熱心に追いかけてきたファンだということです。彼女が『竜とそばかすの姫』の声優に選ばれたというニュースを知ったのも、渋谷で行われた中村のライブの途中でした。彼女が直接、舞台上から観客に伝え、会場が大きくどよめいたのを記憶しています。作における彼女の声、歌は当にすばらしく、みごとなものです。わけても、冒頭で流れる曲の斬新さにはワクワクされられました。作品全体を同様に絶賛できればどれほど嬉しかっただろうと思うのですが、正直なところ、映画そのものについては落胆してしまいました。「中村佳穂は当にすばらしかった」と強調した上で、作品について考えていきます。第三者の視点の不在『竜とそばかすの姫』を見て最初に感じたのは、細田監督ひと

    『竜とそばかすの姫』と、細田監督はダメ出ししてくれるスタッフを雇いましょうの巻|伊藤聡
  • 私はテレワークに向いていませんでした、という話|伊藤聡

    会社に戻れてよかった約11ヶ月のテレワークを経て、会社通勤に戻った。安心したというのが率直な気持ちだ。もうこれ以上自宅勤務を続けたら、頭がばかになってしまうのではないかと不安にさいなまれていたところだった。朝起きて着替え、玄関を開けて外に出ることがこれほど大事だとは思わなかった。世間的には今後、テレワークの常態化を推進する流れもあると聞くし、たとえば子育て中の夫婦や、性格的に在宅勤務が向いている人にとっては朗報だと思うのだが、個人的にはもう一度自宅勤務を命じられたら、会社の机につっぷして泣いてしまうのではないかと思う。テレワークは二度としたくない。毎朝電車に乗りたいし、会社に行かせてほしいと心の底から懇願する私である。 当初、自分ほどテレワークに向いている人間はいないと思っていた。通勤時間がゼロになり、始業ぎりぎりまで寝ていられる。生活に余裕が生まれ、好きなを読んだり、趣味のギターを弾い

    私はテレワークに向いていませんでした、という話|伊藤聡
  • なぜお笑い芸人の多くは、批評を嫌う傾向があるか|伊藤聡

    お笑いと批評の関係性私は以前から、お笑い芸人さんの多くが自分の漫才やコントを批評されることに拒否反応を示す傾向があるのではないか、という印象を持っていました。そのことについてSNSに投稿をしてみたところ、いくつか反応をいただいたので、今回この疑問についてもう少し深く考えてみます。なお私は、芸人さんのラジオは好きで、わりと聞いていますが、賞レースやテレビのお笑い番組を軽く見るていどで、お笑いファンとしてはかなり薄い部類です。一応ライターをしていますが、お笑い批評をやってみたいという気持ちはないです(お笑い芸人さんの書評は、仕事で一度したことがあります)。 お笑い芸人さんの多くは、批評されるのを嫌う傾向がありますよね。映画批評、文芸批評などは創作と相互補完的で、作者からもおおむね歓迎され、不可欠になっているのに、なぜお笑い批評は当事者から(ほとんど生理的な嫌悪感をともなって)拒否されるのか

    なぜお笑い芸人の多くは、批評を嫌う傾向があるか|伊藤聡
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