「Getty Images」より 著名な作家の小説や詩を鑑賞し、鋭い文化評論で視野を広げる。国語の授業というのは、私たちにとってそのような場だったはずだ。それが事務的な文書を読む訓練の場になるとしたら、恐るべき教育改革というべきではないのか。本当にそんなことになるのだろうか。 国語の授業で実用文を学ぶ時代に? 国語の授業で夏目漱石の『こころ』を読んだ記憶のある人が多いのではないか。大学の推薦入試の際に、自己アピールの文書に「趣味は読書」と書いてある受験生が目立った。そこで、面接の場で「最近はどんな本を読みましたか」と尋ねると、ほとんどの受験生が「夏目漱石の『こころ』です」と答える。他にどんな本を読んだかを尋ねると答えられない。突っ込んで聞いてみると、『こころ』も国語の教科書で読んだだけで、ごく一部しか知らないという。 『教育現場は困ってる』(榎本博明/平凡社新書) これではとても趣味が読書
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