十字軍後期の内郭部(1170-1200年) 聖ヨハネ騎士団は1170年にかけて十字軍城塞(英語版)の建築を進め、後のクラック・デ・シュヴァリエの中心部にあたる城塞がほぼ1170年までに構築されたが[41]、1157年、1170年の地震[38]、それに1196年[42]、1202年の地震(英語版)によって被災し[43]、一部が崩れるなどして、再建が何度かなされている[38]。城塞はそうした損傷の度に、財政に富む騎士団の手により修復・増築され、13世紀前半までに大規模な拡張が行われていった[42][44]。 1163年にザンギー朝(1127-1222年[45])のヌールッディーン(在位1146-1174年[46])の攻勢を受けたが、これをトリポリやアンティオキアと連携した騎士団らが、城下への奇襲により退ける[17]。その後、アイユーブ朝(1171-1250年[47])を興し、1187年にエルサ