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![日本のポエム化は中田英寿から始まった!](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/be81e520331f113f90f4fa3f0693fb4beb6a8888/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ftk.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Fe%2F2%2F1200w%2Fimg_e2e522c4c97db0cfc0b8cd73f16eaf08265019.jpg)
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「ジャパン」という文字を見ると、反射的に身構えてしまう。 たぶん、10年ぐらい前からだ。 英語の文脈の中に「JAPAN」という英単語が含まれているケースでは、違和感は生じない。でも、日本文の中に「ジャパン」という英単語が混入している場合は、どうしても「あえて言った感じ」が残る。 「日本」の英語名称である「JAPAN」は、多くの場合、アルファベットでなく「ジャパン」とカタカナで表記されている。ということは、「ジャパン」は、国際社会に向けて発信している体を装いながら、その実、あくまでも日本語話者に向けて語りかけられているわけだ。 おそらく、「ジャパン」のうさんくささは、「《われわれは海外に向けて情報発信していますよ》ということを国内向けに発信している」という、その錯綜した構造から生まれているものだ。 別の言い方をするなら、「ジャパン」が体現しているのは、「日本」という国の「状況」や「実態」では
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