ひとが経験の奴隷になるという事がある。 人と人、人と物の関係は実際いつも今そこにあるすべてが一斉に活き活きと動いている何事かである。 しかし、経験が目の前のものを既知の要素の集合や既知のパターンの再現にすぎないとして見切ることで自分と目の前にあるそのものすべてとの間にある生きた関係性を引き剥がしてしまい、しかも己がそうしていることに気づかず何と無しに寂しさ生き辛さに苦しむような場合がある。そうした状態を経験の奴隷という。 ひとが経験で磨かれた時には、磨かれた肌身にウブな鋭敏さをそなえて目の前のものを成り立たせるすべてに対して自分のすべてをかけて関わることができる。それは素晴らしいことだろう。 逆に、経験が垢になって身を覆う“経験の奴隷”と化した時は、目の前のものを細かく切り刻み、自分のすでに知っている部分部分に対してかたくなになり、部分部分で満足したり不満をつのらせたりして、全体的にみると