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2018年4月9日のブックマーク (2件)

  • 人を愛せない人間はどうすれば救われるのか?

    表面的な行動ならいくらでもできる。 老人に席を譲ったり、同僚の仕事を助けたり、 病の友人に見舞いをしたり、落とし物を届けたり、 後進のためにできることをやっておく、 家族のためにサービスする、彼女にサプライズして喜んでもらう、 できるだけ楽しい思い出になるように「ニコニコ仮面」を被りお調子者を演じる。 どんな冗談をどのタイミングで言えば笑いが取れるか計算する。 思っていた通りの反応。 その繰り返し。 だけど、俺は人を愛せない。 俺を慕ってくれている家族や恋人、友人には当に申し訳ないのだが、 どうしても人を心の底から愛したことがない。 愛する人のために命を捨ててもいいというような境地に至ったこともない。 ただ自分のできる範囲内で「サービス」しているだけだ。 あまりにも演技が上手くいってるおかげで優しいとか気が利くとか評価され慕われている。 けれども、それは全てただの行動だ。 単にそうしたほ

    人を愛せない人間はどうすれば救われるのか?
  • ネットで実名で活動する人たちとそうでない我々との一生埋まらない断絶とかそのへんの話|くらふと

    ネットの住民とはなにか?ネットとの付き合い方は2種類あると思っていて、ネットに住むひとと、ネットはツールだというひとだ。後者は現実世界の住民ということだ。いまのインターネットで有名人が名前を明らかにするということはどういうことか。それはインターネットをメディアとして利用するということだ。要するに現実の住人としてネットをツールとして利用するという生き方だ。彼らはけっして一般のネットユーザーと対等に付き合ったりはしない。彼らにとってはネットは公共の場所であり、ポリティカルコレクトなよそゆきの発言をする自分を宣伝する場所だ。わかる。言論界がどうのとか筆者の立場や責任がとかそういう話は置いておいて、ここが重要なところです。オタク趣味がどうこうではなく、スタンスの問題。自分も、「実名側」ではなく「ネットの人間」の方になります(このへんいい感じの呼び方が見つからない)。直接人と会うよりネット経由の連絡

    ネットで実名で活動する人たちとそうでない我々との一生埋まらない断絶とかそのへんの話|くらふと