女神と権力者 ホロコーストという生死の選別とはナチの主張する「自然の鉄則」の帰結であったということは前回のエントリで述べたとおりですにゃ。 そして トリアージもまた生死の選別であり、それは「自然の威力」のまえにニンゲンが無力であることの帰結といえますよにゃ。 この両者を僕は前回のエントリのタイトルで「呪われた双子」と形容しましたにゃ。 しかし両者には決定的な違いもありますよにゃ。 トリアージにおいては、誰が選別される側にまわるのか、なにもなされぬまま死を待つだけの残酷な運命を与えられるのかは、人の身には誰もわからにゃーのです。それが起こってみなければ、人の身にはわかりようがにゃーのです。 選別されて惨めな死をむかえるのは、にゃーにゃーいう不気味な中年♂かもしれにゃーし、東京の院にかくりされているあの人かもしれにゃーし、増田クンかもしれにゃーし、これを読んでいる君かもしれにゃー。非モテも非コ