学生時代、毎日退屈だった。 勉強勉強。お金は自由に出来ない。 その後就職し、自由なお金が手に入った。 それと同時に勉強してないことを痛感する。 数年後、学校に行き始めた。自分の学びたいことを学ぶため。 3ヶ月もすると苦痛になり始めた。 はやく仕事したい。 そこでだ、1ヶ月仕事、1ヶ月学校、・・・を繰り返せたらどうか。 だったら幸せになれるのになあ。あれ?なんかタイトルとちがうな。まあいいや。
タイトルこそ「東大を舐めている全ての人たちへ」ですが、内容は誰かが東大を舐めるか舐めないかにあまり関係なく、東大に合格することがいかなる努力を要し、どれだけの精神的苦痛を伴うかが表現されています。 私は小学校からエスカレーター式の私立高校から東大に進学しました。なのでこれを書いた彼のように中学受験こそしていませんが、東大に入学するために同じだけの苦痛を強いられてきた自覚があります。テストや模試の点数が最高点やAランクでないと、既に東大現役合格していた兄と比べられ「お兄ちゃんと同じように育てたのに、どうして同じに育たないの?」「妹は産まない方が良かったのかな」と母から言葉の暴力を受ける毎日。そんな中で「勉強しないと/東大に行かないと生きている意味がない」という謎の強迫観念に迫られ「起きている時間はずっと勉強」状態となり、なんとか現役合格しました。 こうした経緯があるので、上記のnoteの内容
2021年追記本当に信じられない数の方が読んでくださったので、有料記事にしました。このような怨嗟の記事を40万人以上の方が読んでくださったということが本当にすごいことだなあ、と思います。 はじめに どうも、こんにちは。あるいはこんばんは、おはようございます。コジ東です。東大の中ではど底辺の成績でやらせてもらっています。 最近、舐められていますね、東大が。 「東大卒は使えない」「東大は誰でも入れる」「東大に価値なんてない」別に良いんですよ、コレ言われても。東大の人が言ってたら「まあ、そう」ってなるし、東大以外の人が言ってたら「ウケる笑」ってなるので。 ただ、知ってほしいのです。 お前らが思っているよりも東大に入ることは簡単じゃないぞ、と。才能はいらないかもしれないが、そこに必要な努力は想像してるような努力とはもはや性質を異にする執念のようなものだ、と。 そして、その執念を持っていても、破れて
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