王羲之 王 羲之(おう ぎし、拼音: Wáng Xīzhī、303年 - 361年[注 1])は、中国東晋の政治家・書家。字は逸少。右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれている。本貫は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市蘭山区)。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族の琅邪王氏の出身である。 曾祖父は王覧(王祥の弟)。祖父は王正。父は王曠(東晋の淮南郡太守)。妻は郗鑒の娘の郗璿。子は王玄之(長男)・王凝之(次男)・王渙之(三男)・王粛之(四男)・王徽之(五男)・王操之(六男)・王献之(七男)。子孫に王楨之(王徽之の子)・智永らがいる[3]。 『晩笑堂竹荘畫傳』所収の王羲之 王羲之は魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の家に生まれる。成長する過程において、癲癇の発作に見舞われたり、吃音のために人前に出るのが嫌になり、人柄がすっかり変わって引込み思案になってしまった時期もあった[4]。東晋建