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Colaboを叩いている人たちは、行き場のない、救われない女性の人生に対して責任を負えるのか。 ここ最近のColaboを叩いている人たちの行動は目に余ると感じている。 監査請求のみならず、Colaboは現在まで適切なタイミングで説明責任を果たしてきた。それでも、叩いている人たちは納得しない。必要以上の遡及調査や説明責任を求めている。 そうした行為によって、本来の活動に割くべきリソースを奪おうとすることの意味を分かっているんだろうか。 もし、Colaboが支援活動を中断している間に、本来救えるはずだった行き場のない女性が救われなくなったとしたら、どうするんだろうか。 叩いている人たちは、救われなかった女性の人生に対して責任を取れるのか。本人を目の前にして、支援よりも不適切な会計を追うことが大事だと面に向かって言えるのか。 Colaboを必要以上に叩くことが、どういう結果をもたらすのかをよく考
Colabo問題を見ていて、二重、三重に悲しくなった。念のために言っておくが、今から書くことは倫理や道徳の話ではない。 故意・悪意によって不正が行われたのか、それとも並外れて杜撰な人間だったのか、司法的判断がどうなるのか、それは部外者かつ非専門家である自分には未だ分からないことだ。 しかし、はてブのコメントやTwitterの反応を見ていると、どうも「故意・悪意による不正が行われた」と疑っている人たちですらも「仁藤夢乃さんは、首謀者ではない」と考えているように見える。つまり、彼らには「仮に不正があったと明らかになったとしても、仁藤夢乃さんは首謀者ではなく、単なる『担ぎ上げるのに都合が良い、軽い神輿』に過ぎなかったのであろう。おそらく、首謀者は別に存在する」と思われているように私には見えるのである。 もう一度繰り返して言っておくが、事実は未だ不明であるから、これは事実がどうなのか、有罪か無罪か
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