国際会議での採択から6年、発効から2年が過ぎてやっと、日本が合意作りに貢献した取り決めへの参加が見えてきた。 名古屋議定書の話である。 薬の開発など、遺伝資源(有用な遺伝子を持つ動植物や微生物)から生まれた利益について、途上国など遺伝資源の提供側と先進国を中心とする利用側で公正に分け合い、保護と活用を両立させる。そう目標を掲げる生物多様性条約に基づき、適正な利益配分への国内手続きなどを定めたのが議定書だ。 2010年秋に名古屋で開かれた会議で議長国として採択にこぎつけ、「名古屋」の名がついた。温暖化対策の京都議定書とともに、日本が誇る成果だ。 しかし、その後はたなざらしの状態が続いていた。締結国が順調に増え、14年秋に議定書が発効した後も、関係省庁や産業界、学術関係者の意見がまとまらず、国内でのルール作りが進まなかったからだ。 政府はこのほど国内措置に関する指針案を決め、パブリックコメント