先日、TVで3人の研究者がエンデのモモについて語る番組を見た。私の子どものころからの愛読書が、来るべき世界を考える上でのテーマとなるのは何となくうれしい。 この日の朝には、福岡の三連水車のある地域の紀行番組を見た。その中で、250年間、代々農業を続けてきた家に、川が氾濫して流れてきた土は大事にして田んぼに入れろという言伝えがあると言っていた。 そのご当主は、実際に数年前水害に遭ったが、土砂を田に入れたら三年で米の収穫量が戻ったと言う。 まるで古代エジプトのナイル河氾濫を利用した農業みたいだが、本来、川が運ぶ土砂は山の肥沃な土なのだ。母なる河の氾濫という破壊の後には耕作地の再生があったから、人間が農業を続けてこれた面があるのだろう。こうして荒ぶる自然の力と共生していたのだ。 私は熱海の土砂災害を思った。本当に、何という違いだろう。熱海の土砂にはそういう生命感がない。無機的で、破壊の跡しかない