京都に関する研究ではしばしば「洛中」「旧市街地」「昔からの市街地域」などの表現が使われますが、具体的にどの範囲がそれに当たるのか、はっきり説明がされている機会はそう多くないという印象があります。 そこでこのページでは古地図を見ながら、京都における市街地の範囲の変遷を検証してみます。 1889年(明治22年) 1889年(明治22年)、当時の京都府上京区と京都府下京区とが合併する形で京都市は誕生しました。その頃の市域は次の通りでした。 両図とも黒い線が2015年現在の区域(区の境界線)で、色分けされているところが1889年当時の市域・郡域です。 今日の京都市に比べればかなり面積が小さかったのですが、これでも当時としては、将来のことを見越して広めに市域を確保していたそうです*1。 また街の重心が東のほうへ寄っているのも目を引く特徴です。現在の中京区および下京区の西半分は、この頃はまだ郡部(葛野