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historyに関するpigpotsのブックマーク (17)

  • 50年前のスーパーのチラシを見せてもらった

    スーパーのチラシといえば、日常生活に溶け込み過ぎた「ザ・チラシ・オブ・チラシ」であり「チラシ界の雄」もしくは「ドン」と呼べる存在である。わざわざ手元に残しておく人は、まずいないだろう。 しかし、これが50年前のチラシとなれば途端に話は変わってくる。古いパンフレットは古屋等で入手可能だが、スーパーのチラシとなるとそうもいか ない。身近すぎるあまり保管しようとすら思わないせいか、新聞紙と一緒にちり紙交換に出されるパターンがほとんどだと思われる。 そんな絶滅危惧種レベルに貴重な大昔のチラシを、大量に見せてもらえる機会に恵まれた。じっくり読み込んでみたい。

  • 防空法制下の庶民生活7

    永井荷風の怒り 1945年5月5日(土曜)曇り。作家・永井荷風はこの日午前、麻布区役所に向かう。「途すがら市兵衛町舊宅の焼跡を過るに一隊の兵卒處々に大なる穴を掘りつゝあり。士官らしく見ゆる男を捉へて問ふに、市民所有地の焼跡は軍隊にて随意に使用することになれり。委細は麻布区役所防衛課に就いて問はるべしと答ふ。軍部の横暴なるや今更憤慨するも愚の至りなれば、そのまゝ捨置くより外に道なし。吾等は唯この報復として国家に対して冷淡無関心なる態度を取らんことのみ」(永井荷風『罹災日録』扶桑社〔1947年〕53頁)。 1937年制定の防空法(法律第47号)は、行政が土地・家屋を使用できるのは、防空上「緊急ノ必要」がある場合であって、かつ「一時使用」であると定めていた(九条)。だが、一九四三年改正防空法(法律第104号)は五条ノ八を追加し、防空上必要な場合、市民の土地や工作物等を収用・使用できるとしたのであ

  • 「ごちそうさん」で悠太郎の逮捕はなぜ?「爆弾は当たらない」などの宣伝で犠牲者を増やした歴史を直視(水島宏明) - 個人 - Yahoo!ニュース

    今週のNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」。 戦時体制での政府や軍の愚かさや非情さを克明に描いている。今週始めのドラマでは、戦時中に流れていたラジオ放送が登場したが、当時は実際にこんな放送が行われていた。 「空襲はさほど恐ろしいものではないと?」 「そうです。爆弾というものはそれほど当たるものではありません。むしろ防空活動をおろそかにして街を焼けるにまかせる方が恐ろしい。敵の思うツボですから」 東京を始めとする大空襲で大勢の市民が犠牲になった背景に、当時の政府による「無謀な」指示や指導があったことをうかがわせる。 今週の「ごちそうさん」は、実はテレビドラマの歴史上で画期的なものだといえる。 戦時中の政府や軍による「愚かな政策」によって、空襲における市民の犠牲者が膨大になってしまったという過去の歴史を直視し、空襲における国などの無策をこれほど明確に示したことはテレビドラマではかつてない。 「

    「ごちそうさん」で悠太郎の逮捕はなぜ?「爆弾は当たらない」などの宣伝で犠牲者を増やした歴史を直視(水島宏明) - 個人 - Yahoo!ニュース
  • 酒巻和男 - Wikipedia

    真珠湾に打ち上げられた酒巻、稲垣が乗り込んだ甲標的 米軍により回収された甲標的 捕虜時代の酒巻。酒巻はのちに、写真を撮られる際、国で公開されることを懸念し、少しでもわからないようにと、自分で煙草の火を頬に押しつけたと明かしており、拷問の痕ではない。 太平洋戦争(大東亜戦争)における第一撃として、日海軍は日時間の1941年(昭和16年)12月8日、米領ハワイのオアフ島真珠湾に停泊するアメリカ海軍太平洋艦隊や周辺の軍事基地に対する奇襲(真珠湾攻撃)を実施。主軸となる空母艦載機による空襲に加えて、大型潜水艦から進発する特殊潜航艇「甲標的」(以下「特潜」)による米軍艦艇への魚雷攻撃も企図された。 酒巻は海軍少尉として、特潜の搭乗員に選抜されたが、出撃前の検査において羅針儀が故障していることが判明した。潜水艦母艦においては羅針儀の修理が不可能であり、羅針儀なしでの出撃という危険な状況になるにも

    酒巻和男 - Wikipedia
  • 徳川埋蔵金 - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2017年9月) 出典は脚注などを用いて記述と関連付けてください。(2017年9月) 出典検索?: "徳川埋蔵金" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 徳川埋蔵金(とくがわまいぞうきん)は、江戸時代末期の1867年に江戸幕府が大政奉還に際し、密かに埋蔵したとされる幕府再興のための軍資金である。埋蔵金は金塊あるいは貨幣とされ、現在も個人やマスメディア等により発掘が試みられているが、発見には至っていない。 埋蔵金について[編集] 発端[編集] 1868年4月に江戸城が無血開城となった際、当時財政難に喘いでいた明治新政府は幕府御用金を資金

  • 山下財宝 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "山下財宝" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2011年12月) 山下奉文大将 秩父宮雍仁親王 山下財宝(やましたざいほう)とは、山下奉文大将率いる日軍によって、終戦時にフィリピンに埋められたとされる莫大な埋蔵金についての都市伝説。 伝説[編集] フィリピンで一般的に語り継がれている伝説では、「東南アジア(主にビルマ)の欧米諸国の植民地政府が貯蔵したまま放置した金塊を、これらの地を占領した日軍が徴発、シンガポールからフィリピンで中継し日土に海上輸送しようとしたが、連合国軍の潜水艦や航空機による日と東南アジア間の海上輸

    山下財宝 - Wikipedia
  • 竹槍事件 - Wikipedia

    竹槍事件(たけやりじけん)とは、第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)2月23日付け『毎日新聞』第一面に掲載された戦局解説記事が原因でおきた言論弾圧事件[1][2][3][4]。 問題となった戦局解説記事は、毎日新聞社政経部および黒潮会(海軍省記者クラブ)主任記者である新名丈夫が執筆した記事(見出し作成は山光春)で、「勝利か滅亡か 戦局は茲まで来た」という大見出しの下でまず「眦決して見よ 敵の鋏状侵寇」として南方における防衛線の窮状を解説し、続いて「竹槍では間に合はぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」として海軍航空力を増強すべきだと説いている(#『毎日新聞』(1944年2月23日付)の記事参照)。 この記事は海軍航空力増強を渇望する海軍当局からは大いに歓迎されたが、時の東條英機陸相兼首相は怒り、毎日新聞は松村秀逸大営報道部長から掲載紙の発禁[5]および編集責任者と筆者の処分を命じられた。毎

  • 新名丈夫 - Wikipedia

    この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 他の出典の追加も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。 出典検索?: "新名丈夫" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2020年9月)

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  • USS Indianapolis (CA-35) - Wikipedia

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  • 『少年が救った提督の名誉 原爆運搬艦インディアナポリスの悲劇』 - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

    『少年が救った提督の名誉 原爆運搬艦インディアナポリスの悲劇』(ピート・ネルソン、文芸春秋)(→bk1)(→amazon)(→書籍データ) 第二次大戦中のアメリカの巡洋艦インディアナポリスといえば、少し軍事にくわしい人なら世界最初の原爆をテニアンまで運び、そこからフィリピンに向かう途中で日の潜水艦に撃沈されたことで有名でしょうが(運ぶ途中で撃沈されていたら、歴史が変わっていたかもしれないですが、その可能性はありません)、あまり知られていないこととしてたとえば、沈んだ船の乗員は大半がサメにわれて死んだ、とか(映画『ジョーズ』の登場人物の一人が、インディアナポリスの生き残り、という設定になっているとは知りませんでした)、太平洋戦争中に沈んだアメリカの船は700隻ぐらいあるんだけど、軍法会議にかけられた艦長はこの人(チャールズ・バトラー・マクベイ艦長)だけだった、とか、艦長は退役後、遺族のか

    『少年が救った提督の名誉 原爆運搬艦インディアナポリスの悲劇』 - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
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  • 花崗岩のつぶやき:巡洋艦インディアナポリス撃沈−真実の「ローレライ」 - livedoor Blog(ブログ)

    March 22, 2005 巡洋艦インディアナポリス撃沈−真実の「ローレライ」 巡洋艦インディアナポリス撃沈1958年に書かれたものですが,邦訳は2002年に出ています.太平洋戦争末期の昭和20年7月16日日海軍の伊58号潜水艦は,伊53号とともに人間魚雷回天6艇を載せて呉軍港を出航します.艦長は36歳の橋以行少佐,潜水艦は当時としては最新鋭の装備を持ち,二台のレーダー(電探)と二台のソナーを装備していました. もうすでに稼動している潜水艦は4隻しかなく,関門海峡も豊後水道もB-29によって敷設された機雷のため外洋に出ることさえ危険でしたが,何とか豊後水道を抜け,伊58号は針路を南に取ります.一方同じ7月16日アメリカのサンフランシスコでは,沖縄戦で損傷を受け,修理を終えた第5艦隊の旗艦である巡洋艦インディアナポリスが,原子爆弾に用いられる金属ウランをテニアン島へ運ぶために出港します

  • チャールズ・B・マクベイ3世 - Wikipedia

    チャールズ・バトラー・マクベイ3世 (Charles Butler McVay III, 1898年7月30日 - 1968年11月6日)は、アメリカ合衆国の海軍軍人。太平洋戦争末期に撃沈された重巡洋艦インディアナポリス(USS Indianapolis, CA-35)の艦長として、その沈没の責任を問われ自殺した。関係者の努力によって2000年に連邦議会で名誉回復された。 チャールズ・バトラー・マクベイ3世は1898年7月30日にペンシルベニア州エフラタ(英語版)の海軍軍人一家に生まれる。父親のチャールズ・バトラー・マクベイ・ジュニア(英語版)はグレート・ホワイト・フリートの世界巡航時、テンダー、ヤンクトン(w:USS Yankton)の艦長を務め、第一次世界大戦では海軍大将に昇進、その後1930年代にはアジア艦隊の最高司令官を務めた。 マクベイ3世は合衆国海軍兵学校の1920年度卒業生で

    チャールズ・B・マクベイ3世 - Wikipedia
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